皆さんは日米学生会議をご存知だろうか? その名の通り、日本とアメリカの学生が様々なテーマについて話し合う学生団体で、歴代の卒業生にはヘンリー・キッシンジャーや宮澤喜一元首相など、日米を代表する超大物が名を連ねている。
日米という名前とその卒業生の顔ぶれから「英語が話せないから」や「自分とは違う世界の人達の集まり」と思われるかもしれないが、危ぶむ事なかれ。実は今年度の日本側実行委員長を務める井上裕太さん(法政4)もそう思っていた一人なのだ。
今回のインタビューでは前半に、日米学生会議の歴史とその裏側、参加者の顔ぶれなどとった学生会議の魅力について、後半はそれを支える井上さんの日米学生会議に対する思い入れと選考について聞いてみた。たっぷりと語ってもらい学生会議同様に魅力がぎっしり詰まったロングインタビューをご覧あれ。
日米学生会議とはいったいどのようなもので、参加するとどのようなことをするのだろうか? 昨年度の会議の内容も交えながら、その概要を語ってもらった。
―最初に、日米学生会議とはどのようなものかということを説明していただけますか?
はい。簡単に言えば、毎年夏に日米交互で、日本開催であればアメリカの学生が日本に来て、アメリカ開催であれば日本の学生がアメリカに行って、一ヶ月間いろいろな場所を巡ります。
今年の日米学生会議の場合、一ヶ月間には二つの大きな軸があります。一つは、会議全体としてのテーマを開催地ごとに設定しています。例えば、ニューヨークだったら世界ビジネスの中心地だからビジネス・デイを作ろうということで、フィールドワークをしたり話をしたりします。
もう一つは、分科会というのがあります。いくつかの分科会があって、メンバーは分科会ごとで決まった内容について、一ヶ月間話し合ったり人に話を聞きに行ったりフォーラムを開いたりします。
―なるほど。今年の開催地はどこですか?
開催地は、今年はイサカっていう、ニューヨークでコーネル大学があるところです。最初はコーネル大学に行って、そのあと一日ニューヨークに行って、それからワシントンDC、オクラホマ、最後にサンフランシスコに行きます。
今年の開催地ごとのテーマはまだ作っている途中のところもありますけど、大体ざっと日程は組んであるので、これから調整していくところですね。
―テーマというのはその年毎に考えるのですか?
そうですね。毎回その年ごとにその年のテーマや理念を決めて、だからここへ行こうとか、ここで何をしようっていう形で、毎年毎年違うものを作っていきますね。それなので、行く場所も毎年変わります。ただやっぱり、ワシントンDCだとかの中心都市は入っていることは多いと思います。でも、やっぱりその年ごとに変わっていますね。前々回はハワイに行っていますし。年ごとにカラーも全然違いますし。
―軸の2つ目、分科会に関してですが、今年の分科会はいくつあるのですか?
今年は全部で7個です。分科会もその年毎に決めるんですね。年毎に全く違って、今年だと例えば、「多国籍企業とビジネスモデル」っていう分科会があったり、「外交政策と国家アイデンティティ」っていうのがあったりとか、その年のテーマに合わせてやりたいことを実行委員が考えます。で、アメリカ一人・日本一人がリーダーになって、彼等がその内容を作っていきます。
―全体の会議と分科会というのは、どのように関係しているのですか?
その年の会議によって全く違うんですけど、今年は分科会を重視しようっていう傾向がすごくあります。これは話すと長くなるんですけど、設立当初はそれこそ日米の学生が話しているだけで意義があるっていう時代があったんです。最初は、満州事変が起こって、それに危機感を持った学生達がこの日米学生会議を始めたっていう経緯がありました。それなので当時は、会って話すだけで意義があったんです。だけど、今は英語を話せる人はいっぱいいるし、それこそ日米の交流なんていろんなところで行なわれているじゃないですか。そうすると、日米学生会議の意義って何だろうっていう話が毎年出ていて。意義を見出さないといけないと思われている中で出てきているのが、社会に何か発信していかなきゃいけないとか、何か成果を出そうよっていうことなんです。今年は一ヶ月間で何か成果を出そうっていうのが僕たちの問題意識になっているんです。そうすると、参加者が一ヶ月間を通して続けて話をできるのは分科会なので、自ずと分科会が中心になってくるんですね。例えば訪問する場所ごとでも、ビジネスの分科会であれば、じゃあニューヨークでどこかの企業に行って、
サンフランシスコでもどこかの企業に行くっていうことになります。あるいは訪問する団体についても、NGOに行くのであれば、ビジネスをしている企業とNGOとはどう違うんだろうっていうことについて話を聞いてくることで、最終的には成果に還元されてくるように一ヶ月間をどう使っていこうかと考えて動いていますね。
―その成果というのは具体的に、どこかに提出したりするのですか?
それは本当に分科会毎に違いますね。今ちょうど参加者が決まって、アメリカ側と考えているところです。例えば国家ブランディングの分科会であれば、国家ブランディングっていうのは国家をどうPRしていこうかっていう分科会なんですけど、今、日本とアメリカのイメージが悪い地域っていうと中東が挙げられるだろう。それで、中東だったら中東の国家や国民向けに、話し合ったことを還元する形でCMを作ろうっていうことがありますね。あとは、ビジネスの分科会だったら、日米の学生で話し合った結果を見て、どんな企業がいい企業なのかっていう指標を作って、日米学生会議が終わってからその指標を基準に、学生にとっていい企業を選んで就職説明会を開催するっていうことを考えていますね。他には、マイノリティの分科会があるんですけど、そこだとマイノリティと共生していくシステムを考えています。そうすると彼等彼女等が、会議が終わってからアメリカや日本で、マイノリティが多い小学校や中学校で何ができるかを考えて、実際にそれを実行させてもらおうという感じですね。そうやって社会に関わっていこうっていう視点があるので、それをアメリカ側と話し合って
すりあわせていっているところです。
―去年は日本で開催されたそうですが、去年はどこを回ったのですか? 去年はちょうど戦後60年だったので、戦争がテーマになっていたんですね。最初は滋賀・京都へ行きました。滋賀だと環境をテーマにして環境フォーラムを開いて、京都では伝統文化を見ました。それで、広島に行って原爆ドームを見て、沖縄で戦争の傷跡や米軍基地を見て、最後は東京へ戻りました。東京では中国の学生を呼んで全体を総括する会議をしました。
―なるほど、年毎に、また日本かアメリカかということでも違ってくるのですね。
―訪れる土地にはそれぞれに意味があるのですか? 例えば今年の場合、ニューヨークやワシントンDCはイメージが湧いても、オクラホマやイサカは日本人にとってそれほど馴染みが無いところという印象があるのですが。
そうですね。イサカは土地そのものではなく、コーネル大学があるということで選びました。去年も立命館大学から始まったんです。最初に一ヶ月間の会議をするための土台を作る段階だと、大学でないと資料集めだとかが難しいんですね。それなので、コーネル大学の資料を使ったり先生に聞いたりして土台を作っていくという意味があって、最初はイサカへ行きます。
ニューオーリンズに関しては日本側からの要請があったんです。オクラホマについても同じ理由からなんですけど、日本人からすると"なんでブッシュが再選したのかわからないよ"っていう人が結構いるんですね。でもブッシュを真剣に支援している人達がバイブルベルト(*1)と呼ばれる地域にはいて。それでも、そういう人達に会うのは難しいじゃないですか。アメリカ人でも日米学生会議に来てくれる人は、日本に興味を持ってくれている時点でかなりリベラルなんですよ。そうすると、感覚がわからないんですよね、いかにも中西部のおじさんっていう、「日本てどこ? 中国のどこにあるの?」っていうくらいの認識をしている人達の感覚が。だから、そういう人達と一緒に話し合いたいっていう希望が日本から出ていて。あとは、メガチャーチ(*2)にも行ってみたいというのもありましたね。そういう普段日本にいるとよくわからない部分を見たいっていうことで、ニューオーリンズがまず選ばれたんです。ただ、ニューオーリンズがハリケーン・カトリーナで被害を受けていたために訪問が難しくなったので、オクラホマになったんです。あと、オクラホマはアメリカで一番
ネイティブ・アメリカンが多い州だっていうこともあって、選ばれましたね。
日本とアメリカ、両国の学生が集まって一ヶ月間を過ごす会議だが、両国の学生に違いはあるのだろうか。また、気になる英語のレベルについても聞いてみた。
―アメリカ側も日本側と同じように、会議でどのようなことをするのかを考えて準備をしているのですか?
そうですね。それも分科会によって違うんですけど、そういう意識をもっているところもあれば、そうでないところもあるので、どこまでアメリカ側の参加者を巻き込めるかっていうこともありますね。あとは成果も、アメリカに行った時に一緒に出すものなのか、それとも日本に帰ってから出すものなのかを考える必要がありますね。やっぱり日本とアメリカで学生の意識も違うので。日本の学生は、もちろん人にもよると思うんですけど、大学がそんなに忙しくないじゃないですか。そうすると、こういう活動に参加する人は自分から何かをやりたいっていう人が多くて、自ずと意識が高くなるんですね。逆にアメリカの学生は大学がものすごく忙しいみたいで、日米学生会議に参加するのは本当にバケーションだからっていう意識があって。なんでそんなに勉強しないといけないのっていう雰囲気もあるんですよ。
―(一同驚きながら)へぇ〜、意外ですね。
そうすると、彼等をどう巻き込むかっていうのも腕次第ですね。もしかしたら、アメリカの学生とは話し合うっていう部分を多くしたり、あるいはフィールドワークだったり企業への訪問だったりっていうのを中心にして、日本に帰ってから還元させるっていう形になったりするので。
―日本とアメリカの学生の間で温度差があるのですか?
温度差っていっても、そんなにいざこざがおこるような大きなものはないですよ(笑)。ただ、例えば「あと3日で仕上げよう」って言うときに「飲みに行こうよ」とかっていう、バケーションの意識が強めの人が日本側よりはいますね。もちろん、アメリカ側にも日本側と同じとかそれ以上に学生会議の場で勉強をしようっていう意識が強い人はいますけど、割合としてはバケーションっていう意識の人の方が多いですね。
―アメリカの学生も日本の学生も立場は対等なのですよね?
立場は対等ですね。ただ、使用言語が英語なので、それを考えるとアメリカ人の方が有利なのかなと思うところはありますけど。でもどっちが主導っていうのは無いですね。会議を作るのも、日本の実行委員とアメリカの実行委員とで作りますし。
―日本とアメリカの学生が一緒に活動をするということですが、アメリカの学生が日本のことを学ぶ機会はあるのですか?
そうですね。それは日本開催とアメリカ開催によって違ってくるんですけど、日本開催の時はそういうことをやっていますね。アメリカ開催だと、日本の参加者がジャパデリ(ジャパン・デリゲーツ(日本参加者)企画ということでイニシアティブを執って企画を作っています。例えば、日本の料理を一緒に作ったり、よさこいを踊るとかっていう形で、日本の文化を紹介していますね。あとは、日本語を教えたりもしています。
―英語を話せる人が多い印象があるのですが、会議は全て英語で行なわれるのですか?
みんながみんなぺらぺらではないので、会議中は通訳をしながら進めたり、あとはアメリカ側に配慮してもらおうとはしていますね。でも、基本的にはやっぱり全て英語ですね。
―ちなみに実行委員長はぺらぺらですか?
実行委員長は全然しゃべれないほうですね(笑) みんなに助けられながらなんとかやっています(笑)。もちろん、英語を話せる人は多いですね。あとは、最低限話せないと、選考があるので参加できないんですが、ただアメリカ人は話すのが早いんですね。議論になると止まらなくなるので。そういうときにどうやったら日本人が対等に議論をできるかっていうことはあります。そういうときにおもしろいのが、サインがあるんです。例えばわからないときに「わからなかった」って言い辛いじゃないですか。だから手のサインがあるんです。Tを出したら"わからなかったから後で訳して(Translation)"とか。あとはCの形を出すと、Clarifyなんですけど"よくわからないからもう一回説明してくれない"とか。わからない時が結構あったんですけどTは恥ずかしいからCを出すとか(笑) そうやってみんながやりやすいようにしています。サインはいろいろありますね。もっとゆっくり話してとか、もっと大きく話してとか。
―へぇ〜、なるほど。おもしろいですね。そのサインは代々伝わっているのですか?
たぶんそうですね。去年も使っていたので、便利だから今年も使っています。
学生会議の概要や日米の学生について、また英語について語ってもらった。参加する日米の学生の意外な違いや、代々の会議で使われている伝統のサインなどは、学生会議に参加したことの無い多くの読者にとっても興味深かったのではないだろうか。
続けて、日米学生会議の設立からこれまでの長い歴史と卒業生について語ってもらった。
―日米学生会議はとても伝統のある団体だと聞いているのですが、会議は今年で何年目になるのですか?
今年は、年目で言うと72年目かな。回数は58回ですね。一回戦争で中断しているので。始まったきっかけは満州事変に危機感を持ったことなんですが、結局戦争は起こってしまって、そこで中断したんですね。それで、戦争が終わってからも最初はそう簡単に再開できなくて、まずはアメリカに直接行くのではなくて、米軍基地に行って米軍の家族と会うっていうことをやっていたんです。
▲日米学生会議ロゴマーク
そのあとも、最初はアメリカに行くのも大変だから、代表だけをアメリカに送っていた時代もあって。そこから組織の形も変わったりして。修士論文で日米学生会議を調べている人もいるくらいなんですよ。それくらいの歴史があるんです。
―長い歴史の中で卒業生がたくさんいるということですが、どのような方がいらっしゃるのですか?
そうですね、卒業生は本当にいろんな人がいますね。ヘンリー・キッシンジャーがアメリカ側だと有名だし、日本側で有名な人だと宮澤元首相ですね。あとは、グレン・フクシマさんもそうですね。この前ビックリしたんですけど、朝日新聞の記事に外資系で働く人の特集があったんですね。その記事を4日分もらったら、記事に写真が載っていた人のうち6人くらいが日米学生会議のOBだったんですよ。
―すごいですね! じゃあ、実行委員長も将来は大物になりますね?
そっ、そうですね(笑) でもやっぱり、昔は英語を話せただけで、今と比べても相当のエリートだったんじゃないかと思うんですよ。僕は話せるほうじゃないですけど、今だったら大学生を見たって英語を話せる人っていっぱいいるじゃないですか。だから、今は昔と比べて、英語を話せるからすぐに出世できるっていう時代じゃないという気がしますね。
■日米学生会議 http://www.jasc-japan.com/
■第58回日米学生会議概要 http://www.jasc-japan.com/outline/index.html