塾員インタビュー #17[07/12/05]

グローバルセキュリティ研究所所長
竹中平蔵教授インタビュー

塾生でなくとも、この人の名前を知らない人はいないだろう。 先生はSFCの教授を務めた後に政界入りし、経済財政政策担当大臣、金融担当大臣、郵政民営化担当大臣、総務大臣などを歴任し、5年以上も続いた小泉内閣を支えた。 そして今は再び、慶應義塾で教鞭をとっている。 大臣をされていた頃のテレビでのイメージが強い竹中先生だが、実際にお会いしてみるとどのような方なのだろうか。 先生が私達と同じ大学生だった頃のことなどについても焦点を当て、お話を伺った。







■現在のお仕事について

―現在はどのようなお仕事をされているんですか?
教授の他に、G-SEC(注)を研究所として軌道に乗せることがひとつの大きな仕事です。この研究所の役割は慶應の教授や研究者の皆さんが社会に向けて研究を発信するときの基盤を提供するというものです。「グローバル」「セキュリティ」というと非常に幅広いけど、このG-SECはその中で様々な専門分野の最大公約数的なものとして新たに始められたものです。そして、今はそれを定着させている段階です。このG-SECはWatch & Warning(観察と警告)という概念を持っていて、色々な問題をマーケットやポリシー、環境など様々な立場からwatchして、必要なwarningを発していこうということでやってます。

(注)G-SEC:慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所
竹中先生は約1年前にこのG-SECの所長に就任し、現在も大学での講義や各メディアへの出演などと並行して研究・発信を行っている。
先日、初の年次コンファレンスが六本木ヒルズで行われ、慶應の教授だけでなく東京都副知事の猪瀬直樹氏なども参加した。
G-SEC ホームページ http://www.gsec.keio.ac.jp/index.html


―政策提言をするお仕事なんですか?
必要なら提言もするんだけども、まずその前段階として政策専門家としてのpolicy watchをして、warningを発していくというのが基本的な仕事ですね。

―いつも1日をどんなスケジュールで過ごされているんですか?
それは日によって全然違うね。今日は朝からラジオに出て、大学でセミナーをやって、ある雑誌の座談会があって、夕方や夜もそれぞれ別の予定が入ってます。

―やっぱりご多忙なんですね。
今日はヒマなほうだよ(笑)。大臣をやってたときなんか、ホントに分刻みでしたよ。トイレに行くヒマもなくて、電話一本できないという感じ。とにかく休むことはできないから、40度の熱があっても這ってでも行かなきゃいけないというのが大臣の仕事ですから。それで自分の健康にもの凄く注意するようになって、それは大臣になって良かったことかなと思ってます。

■大臣に就任して

―健康を保つために気をつけていることはなんですか?
大臣になって以降は、最低限の睡眠をとって、食べ過ぎないようにしているのと、あとは寝る前にストレッチをするようにしてます。それだけだね。本当はもっとちゃんと運動したりしたいんだけどね、やっぱり時間がなくて。

―やっぱり大臣になると健康管理の専門家の方とかスタイリストさんがついたりするんですか?
つかないよ(笑)。全部自己管理ですよ。でも大臣になるとSP、つまり警護官が2人つくんですけど、これは僕も初めての経験でね。最初はびっくりしました。

―1人だけではないんですね。
1人が私についていてくれて、もう1人は次の予定の入っている場所に先に行って事前に調べてくれていたりね。非常に献身的な仕事だと思います。あとは、政策が山場を迎えたときには出版関係の尾行がつくことがあるんですが、それをすぐ見つけて、うまく撒いたりだとか。こういう仕事があるんだということにはびっくりしましたね。

―SPさんと会話したりはするんですか?
彼らは仕事に徹してるから無駄話なんかはしないけど、たまに食事に行ったりしてね。年に1回くらいカラオケにも行ったりするんだけど、歌がすごくうまい(笑)。バリバリの体育会系だから体の鍛え方が違うんだろうね。

―カラオケがお好きだそうですが、よく行かれるんですか?
あんまり行けてません、誰も誘ってくれないから(笑)。それにどこ行っても誰かに見られてると思うと、あんまりハメを外せないしね。

―行ったときは、何を歌われるんですか?
僕は谷村新司が好きなんですよ。曲もほとんど知ってるくらいだし。大臣になって谷村新司と友達になれたんだけど、これは大臣になって良かったと思ったところだね(笑)。彼の家に呼んでもらったりもしたし、コンサートにゲストとしてステージに上がって、一緒に歌ったこともあって。コンサートでは1500人の前で歌って、谷村新司が私に合わせてハモってくれたりもして、本当に私の一生の記念になったと思ってます。

―学生時代から音楽に関係したことはされていたんですか?
マンドリンクラブに入ってたね。高校の頃からギターとかマンドリンは好きだったから。

■今と昔の学生

―先生が大学生だったときは、どんな遊びをしていましたか?
遊びというか、友達と議論するのがね、すごく重要なことだったと思いますよ。やっぱり若いというのは特権ですからね、天下国家を論じるわけですよ。友達とよく授業をサボって、喫茶店に行ってね。

―先生も授業サボったりするんですね(笑)。
もちろんです(笑)。だから君たちも授業を取捨選択すればいいんだよ(笑)。

―今の大学生と当時の大学生の違いは何ですか?
良く聞かれるんだけど、僕はいつも、驚くほど変わってないと答えてます。
僕たちの若い頃と、君たちと、本当に変わってないと思う。ただ、パッと見た印象で一番違うところは、僕たちの時代に比べて、今の男子学生は髪の毛をちゃんと手入れしてる。我々はそういうことしなかったからね。だから何が違うかといえば、髪の毛が違うというのが一番の違いですよ(笑)。後は驚くほど違ってないような気がするんです。けど、今は昔に比べたらいろんな面で恵まれてるからね。だから逆に大変だと思うよ。例えば皆さんは就職するときに、自分は何のために働くんだろうとか考えると思う。私達の時代っていうのは、働かなきゃ食べていけなかったから、食えることをやるっていうのがやっぱりあったんですよ。でも皆さんはそうじゃない。なまじ恵まれた社会にいるから、働くのに動機付けがいると思う。その分大変だと思うよ。

あとはね、今の時代は人によってバラつきが大きいような気がしますね。すごく高い志を持っているような人もいれば、毎日を怠惰に生きてるような人もいるし。我々の時代はもう少し幅が狭かったね。それも豊かな時代を反映しているんだろうね。ただ、動機付けによってはかなり違うね。動機付けのある学生はすごく勉強するし。僕がハーバードから帰ってきてSFCで教えて一番感じたことはね、ハーバードのトップレベルもSFCのトップレベルもレベルは同じだということ。ただし、幅が違う。ハーバードは嫌でも勉強するから、幅が狭い。日本の大学は下のほうまで幅広い。今の日本のシステムでは、楽をしようと思ったら徹底的に楽できますからね。

■教授として

―どうして教授というお仕事を選ばれたんですか?
そもそもなんで経済学を勉強したかというところから行くとですね、私は地方都市で生まれ育って、父親は小さな商売をやってました。私の父親はすごく働き者だったんだけど、それなのにどうしてもっと豊かにならないんだろう、世の中を豊かにするとはどういうことなんだろう、という素朴な疑問を持ったんです。それで高校の先生に話しに行ったんですよ。そうしたら先生は「世の中の基本的なことをしっかり勉強するのが大事だよ。」と。それで僕は経済を勉強したいと思って、経済学の勉強を始めた。そして、経済学に基づいて世の中のために役立ちたい、世の中を良くしたい、for the peopleっていうことをすごく思ったんですよ。だから最初は日本開発銀行という政府系の金融機関に就職しました。これは今の政策投資銀行ですね。関西の商売人の息子だからか、役人というのはあまり好きではなかったんだけど(笑)。でもfor the peopleということで、そういう政府系の金融機関に就職した。

それで、そこでハーバード大学に留学する機会などを持たせてもらって、そこで研究をしながら教鞭をとっていました。そこから研究者としての道を目指したので、ハーバード大学に行ったのが大きかったですね。留学の際に先輩やいろんな人に助けてもらったり、この留学でローレンス・サマーズ(Lawrence Henry Summers)(注1)やジェフリー・サックス(Jeffrey David Sachs)(注2)に初めて会ったりして、すごく恵まれていたと思います。日本に帰ってきてからは大蔵省や大阪大学で仕事をしていたんですが、サックスから直接電話がかかってきて「ハーバードにもう一度教えに来い。」と呼ばれて。それで再びハーバードで教えているときに、今度は加藤寛先生(注3)に「総合政策学部を作るから来ないか。」と呼んでもらったんです。
(注1)アメリカの経済学者・政治家で、元ハーバード大学学長。
(注2)アメリカの経済学者。最近の著書に「貧困の終焉」がある。
(注3)総合政策学部の初代学部長。

経済学という学問に基づいて世の中のために役立てるような、アメリカにあるpolicy schoolのようなものがようやく日本にもできるのかと思って、「喜んで行きます。」と。それで初めて慶應に来たんですよ。


―教授というお仕事の楽しさってなんですか?
僕はやはりね、若い人に希望を語るというのは素晴らしい仕事だと思うんですね。この春学期に三田で公共政策論を教えたんですけど、これは僕にとっては7年ぶりの授業だったんですよ。7年ぶりに教壇に立って、やっぱりすごく充実してたし楽しかった。

―1限なのにも関わらず、教室に座れないくらい学生がたくさんいましたね。
あれはあんまり人が来すぎるといけないから1限にしたんですよ(笑)。それに、そうすれば本当に来たい人しか来ないと思ったからね。

―教授のお仕事をするにあたって大切にされていることってありますか?
私はね、自分のやりたい研究をして、給料がもらえるっていうのは素晴らしい仕事だと思うんですよ。労働経済学の基礎じゃないけども、ペインがあって、その対価として給料をもらうという労働もありうるけれども、私達の仕事っていうのはそうじゃないわけですよ。やりたくてやってるわけだから、そこはやっぱりものすごく恵まれた立場にある。それが大学教授だと僕は思ってるんですよ。だからこそ、自分がどうなるかじゃなくて、日本をどうしたい、社会をどうしたいという高い志を持つことが大切だと思ってます。持とうと思えば、志を持てるんだから。僕は政治家になりたいとか大臣になりたいとか思ったことはないんだけど、政府の極限状況の中で仕事をさせてもらって、やっぱり福沢諭吉先生の言ったことはすごかったと思ったね。「一個人の独立なくして、一国の独立はない。」と。やっぱり本当に一人一人がしっかりしないと社会なんか絶対に良くならない。今はなんでもかんでも政府が悪いとか、なんでも人のせいにしてる。そんなことを言ってる限り、社会は絶対に良くならない。

この間テレビを見てたら面白いこと言ってたんだけどね、比内地鶏の偽装の問題で、「こんな偽装が出てくるのも小泉・竹中の自由化のせいだ。」なんて言っててね。ついに比内地鶏まで来たか、と(笑)。ちなみに比内地鶏の偽装が始まったのは10年前だから、構造改革の遥か前だよね(笑)。たとえ私のせいにされても私は正しいと思ってやってるし、良くわかってない人が良くわかってないことを言ってるなぁ、と思うだけなんだけど、でも、それじゃあ世の中良くならないんですよね。

格差の問題にしたって、格差はないほうがいいです。絶対にないほうがいい。でも、格差があるというのが世界の現実で、世界中で格差が拡大しているわけですよ。それはなぜかというと、我々はフロンティアの時代にいて、そこでは勝ち残っていく人と取り残される人はどうしても出てくる。それはもう、ある種の歴史の必然なんですよ。そうならないようにするための仕組みは考えなきゃいけないけども、格差があるのは誰のせいだとか政府のせいだとか、これは間違ってますよ。そんなことを言っている限り、世の中は絶対に良くならない。

―格差があるからこそ頑張れる、という考え方もあると思うんですが、それについてはどう思われますか?
それも社会の一面ですね。ただ、逆に格差がつきすぎるといくら頑張ってもダメだ、となってしまうのも一面ですよね。僕は、頑張って高い所得を得てる人のことをつべこべ言う必要はないんじゃないかと思うんです。頑張って高い所得を得て、高い税金払ってくれるんだからいいじゃないですか(笑)。サッチャーがね、面白いこと言ってますよ。「金持ちを貧乏人にしたところで、貧乏人が金持ちになるわけではない。」と。その通りですよ。だから私は、格差論じゃなくて貧困論をやればいいと思います。一生懸命やってるんだけども、体が弱くてダメだとか、職がないとかそういうことで貧しい人がいるというのは社会が救わなきゃいけません。それは社会が政策によって解決すべき問題だけれども、高い所得を得ている人がいるっていうのは解決すべき問題じゃないんです。政策というのは、解決すべき問題を定義して、それに対応した策を見つけるわけだから。だから私は格差論ではなくて、貧困論を政策の対象にするのが適切だと思います。

―ありがとうございました。

非常にご多忙な中、竹中先生は快く我々ジャーナル編集部の取材を受けて下さった。そしてにこやかに、時に真剣に色々なお話をして下さった。その中で先生に、塾生に求めるものは?と問いかけると、「高い志を持つことだ」と。一人一人が高い志を持つことで社会が良くなっていく。これは福沢諭吉先生の独立自尊の精神とも共通する。私達も、この精神を忘れないように日々生活していきたいものだ。

取材:内田彬浩 後藤覚 川島碧
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