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塾員インタビュー #16 [07/03/19]
■理工学部情報工学科教授
 潟Xペースビジョン代表取締役
 佐藤幸男さん

パソコンに映し出される3次元のリアルな顔。渋谷にあるベンチャー企業・スペースビジョン(本社:名古屋市中区)のオフィスで、ここで開発した「3次元カメラ」でインタビューに訪れたジャーナル編集部部員の顔を撮って見せてくれた。小さなカメラから取り込んだデータ化された立体的な画像。その正確さ、精密さに驚いている中、奥から現れたのは慶應義塾大学理工学部の「教授」と、ベンチャー企業の「社長」という2つの顔をもった佐藤幸男氏。さらに私達を驚かせたのは、実は同氏はビジネスに興味があったわけではないという事実であった。



■夢のある研究から生まれた現実的製品

―まず、スペースビジョンで扱っている製品の「3次元カメラ」について教えてください。

カメラは三種類あって、スタンダードシステムはプロジェクターから出した光をカメラで撮影して、その11枚の画像を計算することで立体を表すことができます。もう一つは顔を測るもので、真ん中にカメラ、両脇にプロジェクターがついていて、両側から撮影することによって3次元的に形が測れます。あとはもう少し大きいもので、全身を測れるものがあります。

―なるほど。私達の生活に密着した分野にも応用のできそうな技術ですね。

ビジネスとして現実的には三つの方向性を考えていて、一つ目は着装品のオーダーメード化。二つ目は健康産業や美容。中でもメタボリックシンドローム(注1)は、今は腹囲長で定義しているけれど、大切なのは体積や形で、このカメラなら輪切りの画像が撮れて、体積も計れます。三つ目はセキュリティー。顔の照合が全ての国際空港で義務付けられているけれど、平面的な写真だと認証レベルはとても低いのです。しかし3次元にすると、顔全体を覆う仮面のようなものになるので、ぴったりと合わないといけない。これからはパスポートや免許証の顔写真も3次元になっていくはずですよ。

注1:運動不足や食べすぎが習慣化し、「高血圧」・「高脂血症」・「糖尿病」等の生活習慣病を誘発しかねない状態を言う。一般に腰周りの長さを診断基準に用いることが多い。
参考:メタボリックシンドローム撲滅委員会サイト 
http://metabolic-syndrome.net/

―すごいですね!でも、もともと需要が見えていない製品のアイディアはいったいどこから生まれてくるのですか?

これはまさに大学の研究の面白いところで、例えば、今ロボットをやっている研究者の多くは子供のころ鉄腕アトムに憧れ、今でもそんなものを作りたいと思っています。そのように当然最初は夢見事でも、気がついたらそれらしいものができているでしょう。そんなものだと思うのです。だから大学の研究者がいつも社会でこのようなものが必要とされているからと、それを受注するかのごとく研究していたら、全然研究として面白くない。こんなものが世の中にあったらいいなとか、こんなものができたら素晴らしいなとか、そういうところから大学の研究が成り立つと面白い。そのかわり、そういう研究は当たらなければ終わりだし、たぶん百のうち十当たれば良い方ですよね。それが許されるのは、大学が研究機関であると同時に教育機関だから。結局、学生諸君がその教授が言っている夢にだまされて、一生懸命やる。そうして育った人たちが世の中に出て行くわけで、別にその研究が無駄になるわけじゃない。私の場合はたまたまそこに市場性がでてきたということです。

■『ビジネスに興味がない』企業家

―では企業ではなく大学に残っているというのも研究をしたいという気持ちが強かったからですか?

私は実はビジネスに興味がない。研究をやっていてでてきた副産物なのです。本当は3Dの画像を撮った後のデータをどうするかが研究のポイントでした。もっと手軽に3Dの画像が撮れるようになったら、研究の流れが変わる、幅が広がると思ってそういう手段を研究者に知らせたかったのです。本当は大学の手から離れて企業にやってほしいことだけれど、大きな企業は市場が見えないとなかなか動いてくれないから、仕方ないので会社を興してカメラを自分達でつくったわけです。よく間違えられるんですよ、佐藤はさぞかしビジネスが好きなのだろうって。

―そうだったんですか!私達もそのようなイメージをもっていました。

大学教授というと、勉強が好きなのですねといわれるけれど、何が好きかって研究が好きで、勉強が好きなのではないのです。(注2)子供のころから異常に技術系で、先生の言うことを聴かない「問題児」だったそうで、模型いじりで家にこもっていました。一番ひどいときはラジコン飛行機のエンジンを家の中でまわして、床を油だらけにしてしまいました。でも親は何も言わなくて、変わった家でね。好きなようにさせてもらっていたなと思います。あとは、あらゆるものを分解するのが好きでした。分解しても元に戻せるならいいんですがね(笑)。

注2:後から詳しく伺った話によると・・・・『だって「勉強」とは「勉め」を「強いる」ってことでしょ。楽しんではいけないのですね。自発的な意味もない。もともと「勉強」は和製漢語で、中国語では「学習」です。英語だったら「学習」も「研究」も同じstudyですよね。学ぶことも研究することも本当はおもしろい。だから勉強が嫌いなのはあたりまえで、勉強が好きな子供というのは気持ちが悪い。』と同氏は説明する。

■まるまる自分の人生に

―学生時代から今に至るまでの経緯を聞かせてください。

理工学部では電気工学科に進みました。もともと人工知能の研究者になりたくて、大学3年生のとき、自分の将来をどうやって立てていこうか就職のことを考えていたのですが、普通の企業にいって、普通に働いて、と時間を計算していくと、自分の時間がない、と気づきました。だって8〜10時間働いて、8時間寝て、往復の通勤時間や食事の時間などを引いていくと、全然自分の時間が持てないじゃないか、と。当時は完全週休二日制でもなかったから尚更ばかばかしいと思いました。

でもはたと気がついたのは、この計算は間違っているということ。なぜかというと、働いている時間を自分の人生からはずしてはいけないのではないか、自分のやりたいことを仕事にすれば、その時間はまるまる自分の人生になるじゃないか。そこで何をしたいのか考えて、「よし、研究者になろう」と。でも人工知能の研究者は当時ほとんどいなかったので、大学4年生の卒業研究は計算機をやっていました。相磯先生(注3)のところへ行って「電子技術総合研究所(電総研)(注4)の研究室に入りたい」と言ったら、「だったら最初から当時教育工学という新しい分野開拓を行っている藤田広一先生の研究室に行きなさい」と勧められました。藤田先生も人工知能の研究はしていないが、たぶんその方が後々いいから、と。

注3:相磯秀夫(あいそひでお、1932年3月3日 )
慶應義塾大学環境情報学部の創始者。初代学部長、大学院政策・メディア研究科委員長。現東京工科大学学長。慶応義塾大学院工学研究科電気工学専攻修士課程修了後、通商産業省工業技術院電子技術総合研究所を経て、慶應義塾大学工学部教授などを歴任。

注4:電子技術総合研究所(電総研)
電気・電信に関する試験研究を目的として,明治24年(1891年)に逓信省電務局電気試験所として設立された。平成13年4月1日には、経済産業省傘下にあった他所とともに、独立行政法人産業技術総合研究所に再編される。 ウェブサイト: http://www.etl.go.jp/

私は「最初から目標がはっきりわかっている」研究には興味がないのです。なんだか得体が知れなくても、「これはおもしろい」と確信したものなら、訳も分からずに一生懸命もがいているうちに、いつか先が見えてきます。社会が必要として目標がはっきりしているなら自分がやらなくたって誰かがやるでしょう。藤田先生も同じ考えで、誰かがやっていることを真似してやると、まずそのことについて一生懸命勉強をしなくてはいけない。しかも最初にやった人はそのことに関してずっと先まで見通している可能性があります。だから同じことを後から追いかけてやったってその時にはもう遅いんです。しかし誰もやっていないことをやれば、まず勉強する必要がないし、圧倒的に二番手に差をつけられるし、そのほうが楽しいという考え方が私と合っていました。当時,藤田先生は学部長で、工学部を理工学部に改編するために尽力されている最中で,お忙しいはずなのに,いろいろと教えていただきました。

―藤田先生のアドバイスは的確だったようですね。当時の研究と現在の研究はどのようにリンクしているのでしょうか?

もともと 「コンピュ−タビジョン」(注5)という計算機の目に興味があって、たまたま自分の理想とするものと現実的に役立つものが合致したのです。私が考えていたのは、3次元のこの実世界は人間がいようといまいと実体として存在するということ。宇宙も地球も物質として存在する。たまたま人間がいて、そのうちの一人が自分であるから、ただこうやって物を見ているわけであって、自分がいなくても3次元の世界は存在している。それならばそのままの情報をコンピュータに取り込んでしまったらよいのではないか。「人間の目」、「動物の目」というより「神の目」だと。考えてみれば人間だって物質でできているのであって、物質が思考できるのだからいずれは機械も思考できるはずだ。そういう夢のある研究をしたいと思いました。

でも藤田研でもその研究はやっていなかったので、マスター1年のときに電総研を紹介してもらって入り込みました。でもちょうどプロジェクトが切り替わるところで、何もテーマがなかったので仕方なくぶらぶら勉強していたら、藤田先生が大学にあるものにしては珍しい装置などいろいろなおもちゃをあてがってくれたり、後輩の研究を手伝うことになったり・・・そうこうしているうちにアイディアがでてきました。当時は忙しい藤田先生に代わって後輩の研究のテーマを考えたり、研究費の資金調達などもするようになっていったので、「幻の佐藤研」なんて言われていました。

その後、東京農工大学に助手で3年間、名古屋工業大学の電気情報工学科に教授として22年間勤めました。そのうち2年半はアメリカの大学で研究しました。2001年に私の3Dカメラの研究が、大学の技術シーズを育成して起業させようという科学技術振興機構のプレベンチャ事業に採択されます。そして2002年には慶應が文部科学省の人材養成を目的としたプロジェクト(科学技術振興調整費新興分野人材養成)に採用されたのです。その申し込みのときに、「君の名前を貸してくれ」と言われ、「おやすい御用だ」と。どうせ無理だからと言われていたのに、当たってしまい、逃げられなくなったのです。でも当時私は名古屋工業大学で管理職に就いていて、新しい大学院の専攻を立ち上げる責任者としても忙しく、起業もしなくてはならなかったので、2年半待ってもらいました。プレベンチャー事業ですが、2004年に「スペースビジョン」を設立しました。そして2005年に前の大学を辞めて完全に慶應にきました。

注5:大雑把にいうと、「ロボットの目」を作る研究分野である。
この分野はコンピュータが実世界の情報を取得する全ての過程を扱うため、画像センシングのためのハードウェアから情報を認識するための人工知能的理論まで幅広く研究されている。また、近年ではコンピュータ・グラフィックスとコンピュータ・ビジョンの融合が注目を集めている。

■今、『技術』と『豊かさ』を考える時期

―今の若い人を見て、何か思う事はありますか?

かわいそうなのは、昔は機械を分解して中を見ればなんとなく仕組みがわかって、その仕組みを分析するのが楽しかったけれど、今は中を見ても分かりません。それから人間関係が希薄になっている気がします。だからみんなコンピュ−タを相手にしていますね。今、僕が子供だったら一日家にこもってコンピュータに向かってゲームしている可能性が高いですね。昔はお金がないからアンプなど自分で作ってもよかったけれど、今は安くていいものがあるから工夫する必要がなくなってしまいましたね。
ところで現在は社会全体が人間でいうと糖尿病の一歩手前のように思います。人間は食べられるだけ食べてしまうので、必要以上に食べ続けると気づいたときは糖尿病です。人類も同じで、自分達で社会をコントロールしなくてはいけない時代にきていると思います。食べられないから安定して食べられるようになりたい、いろんなことが不便だったからもっと便利にしたいとやってきたけれど、もうそろそろいいのではないですかね。経済成長率が重要と言うけれど、必ず成長しなければいけないのでしょうか。そろそろ成長率0%にしていって人類社会を調節してもいい頃なのではないかと思っています。もともと技術の発展は人を豊かにするために使われていたはずだったけれど、実際は例えばある企業で機械化、合理化すると、仕事の時間ではなく、人を減らすことになるため、失業者が増えてしまう。その一方で働いている人も労働時間が減るわけではなく、むしろ今は賃金カットされている。だから機械化、合理化が進むことが結果的に人の幸せになっていないかもしれない。そういうことを考えなければいけないと思います。

―ではさまざまな経験をしてきた教授兼社長ならではの学生へのアドバイスはありますか?

せっかく慶應は総合大学なのだから、いろいろな分野の人たちが協力していけばいいと思います。理工学部には本来、技術しかできない人が多く集まっていて、一方でその技術を使ってビジネスを展開してベンチャー企業を興したいという学生は主に三田にいるわけでしょう。そのような総合大学の強みをもっと活かせたら良いと思います。
私も大学教授になりたいと思ってなったわけではないし、会社を興したいと思って興したわけではない。ただその場でやりたいことを一生懸命やっていたら、いつの間にかこうなっていたのです。やりたいことがあるなら、あまり先を読まずにどんどんやればよいと思います。やりたいことがないとしても、そこで悩んで何もしないより、やるべきことを一生懸命やるべきです。そうすればそのうちやりたいことが見えてきます。自分はやりたいことがまだ見つからないから何もできない、というのはもったいないことです。学生諸君を見ていると、ちょっとそういう人が多い気がします。自分が何もできない言い訳として、やりたいことを発見できていないから、と。夢は死ぬまでに見つかればよい、ぐらいに思ったらどうでしょうか。

―具体的にどんなことを学生時代にすべきだと思いますか?

本をたくさん読むといい。他学部の友達に『理工バカ』とばかにされて、腹が立ってずいぶん読んだのがよかったです。新聞をよく読んでいたのもよかったかな。社会で生きていく人間として専門以外のことで知っておくべきことがたくさんあるけれど、それを勉強しろと言ってくれる人はあまりいないから、苦言を呈する友達がいてよかったと思います。学生時代、五味川純平の「人間の条件」を読みましたが,戦争という極限の中で人は人としてどのように生きるべきか、を深く考えさせられました。松本清張の推理小説はお勧めです。伏線を張り、読者を惹き付けながら最後につなげていくのですが、論理的な展開ながら結局は人を描くのです。この手法は研究論文を書くのに役立ちますよ。

以上に見てきたような佐藤幸男氏の生きかた、つまり「社長」と「教授」を同時に行うことは他に例の多いことでもなければ容易に成し遂げられるものでもない。「大変ではないのですか?」という我々の質問に対し、同氏自身も「大変です。どちらにも責任を持たないといけないですから。」と答える。それでも敢えてその双方を “両立"させるのは何故だろうかと疑問を抱き敢行した今回のインタビューであったが、同氏は言う。「人と研究が好き」なのであると。

関連リンク
■ スペースビジョン
http://www.space-vision.jp/

■ 慶應義塾大学理工学部 佐藤幸男研究室
http://www.ozawa.ics.keio.ac.jp/sato/index.htm


取材 堀内麻里・浅野亜由・川畑かほり・
直江利樹・早川智彦



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