大学卒業後にあるものは何か。この問いに対して多くの人は社会と答えるでしょう。卒業後の進路データでもそれが如実に表れています。そのため就職活動関連の情報に比べて、それ以外の進路についての情報が乏しいのが現状です。そこで慶應ジャーナル編集部は「大学の次は社会」というもはや定式化した流れに抗って、敢えて社会進出以外の道に進まれた方にスポットを当てました。今回のテーマは学士編入制度。現在某大手研究機関でご活躍中の塾員にお話を伺いました。
「周囲の反応は至って普通でした。まあ、一般企業に就職するタイプではないと思われていたせいかも。僕自身もあまり一般企業で働くイメージができていなかったですし。」
学士編入を決めた当時のことを懐かしそうに語ってくださったのは北川寛(仮名)さん25歳。北川さんは2003年に経済学部をご卒業後、SFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)への学士編入を経て現在某大手研究機関でご活躍中の塾員だ。今回はご立場上、仮名を条件にインタビューを受けていただいた。ところで皆さんは彼の経歴の中にある“学士編入”という言葉をご存知だっただろうか。大学卒業後の進路といえば就職か大学院への進学が大半を占めているため皆さんには聞き慣れない言葉かもしれない。
学士編入制度とは、学士の学位を持つ者、つまり大卒者あるいは卒業見込みの4年生などを対象にした他学部・他専攻への編入試験制度のことである。多くは大学3年次に編入し、学士編入の2年間を修了すれば新たに学士の学位を授けられる。つまりダブルバッジを持つことになるのだ。
そもそも彼の心を学士編入へ向かわせたものは何だったのか。なぜ敢えて社会進出以外の道を歩んだのか。それを解く鍵は彼の学部生時代の活動にあった。
北川さんの学部生時代は「新たな分野の開拓」を目指す外向きのスタンスが強かった。外資系企業へのインターンや国際交流活動など多岐にわたる活動の中でも、特筆すべきはベンチャー企業の創設であろう。
「大学に入ってから株式投資を扱ったメルマガを作ったのですが、読者が1万5千人程いました。そんなに大人数もいれば当然作者である自分は注目を浴びました。そんな時、読者の一人から共同ビジネスの話を持ちかけられたのです。」
最初は学生がビジネスをすることに躊躇いがあった彼も、様々なベンチャー企業へのインターンを通して「自分たちにもできるのでは」という可能性に気づく。
そこで立ち上げたのがインターネットを活用して投資情報の提供を行う投資コンサルティング会社である。投資顧問業の免許も取得し、学生主体ではあるが歴とした企業である。それを通して様々な分野の人たちとの交流があったが、中でもサイバード(注1)社長・堀ロバート主知氏などのIT業界の雄たちとの交流はその後の彼の活動に大きな影響を与えた。北川氏自身、経営からは退いたが現在もその企業自体は残っており順調な経営状況を見せているという。
これらの活動を通して彼は自分の興味が「お金を儲ける」ことではなく、「お金を儲ける仕組みを知る」ことにあると気づき、それを専門とした職業に就きたいという将来ヴィジョンを持つようになった。そしてそれには「幅広い知識」が要請されていることを彼は感じていた。
「一つのツールで物事が解決する時代は終わっています。既存の学問はある程度完成されているので、経済学だけとか法律だけとかやっていても新しい価値観は生み出されません。今は複合領域が注目されているのです。」
―大学生活もいよいよ終盤を向かえ、周囲の会話が専ら就職一色に染まり始めた頃、彼は敢えて就職以外の道を進む決心を固め始めていた。このまま一つの分野で終わりたくない。そんな彼の目線の先にあったのは複合領域SFCへの学士編入だった。
学士編入先として選んだSFCの魅力を彼は次のように語った。
「経済学部ではマクロ・ミクロ・ファイナンスといったように学べる分野は限られてしまうのですが、SFCは学際的な色合いが強くて様々な 分野を学べるという特長があります。都市政策もあれば表現文化論や広告言語論もあったりと様々な分野を学ぶことによって一つのモノに対する多角的視点が身に付きます。
例えば 携帯電話ひとつをとっても、通信工学(通話)、デザイン学(デザイン)、マーケティング(コンテンツ)といった多角的な視点で見る力が養われます。これは社会に出ても自分にとって役に立っているし、むしろ時代が要請している力だと思います。」
―彼の求める幅広い知識は「時代が要請している力」を身に付けるために必要不可欠なものである。そして「総合的な問題解決」を理念に掲げるSFCは まさに彼の需要を満たす環境にあったのだ。
また、学部卒というバックグラウンドを持つ彼は他の学生たちとは授業の楽しみ方が違った。SFCは理論よりも実践的な授業が多かったため、学部時代に理論を学んでいたことが役に立った。
「例えば国領先生(注2)の授業はケーススタディ方式なのですが、その中のディスカッションでは、マクロ経済学、ミクロ経済学など経済学部で学んだ知識は役立ちましたね。それに様々な分野を扱うため、ある程度自分の軸を持っていないと立ち位置がわからなくなって足元がふらついてしまいます。自国を知らなければ他国の良さはわかりませんよね。」
―当初は同年代の友人達が社会人として成長していく中で敢えて学生を続けることに焦りや不安を感じたが、それもやがては目の前の単位をいかに取得するかといった懸念に掻き消されていくのだった。
SFCでの2年間は学部生時代とは対照的に内向きのスタンスに転じた。
「折角、慶應に入ったんだから、学内の事を知り尽くしてから卒業しようって思ったのが契機です。学士編入後の2年間は真面目に勉強しようって思っていましたし。幸いにもSFCという環境上、なかなか外部活動は難しくて(東京まで片道2時間弱)、勉強を含めた学内活動に専念できる場だったのは良かったですね(笑)」
―学生情報発信サークルを立ち上げ、 学生たちの帰属意識の高揚に力を注いだ。学業の面では、これまで学んだことの足固めをしていき、それを通じてデザインなど、これまで興味も無かった新たな分野にも目を向けるようになった。
「SFCは確実に将来のルートを広げてくれます」
―自分の新たな興味に気づいた2年間でもあった。
実際に社会に出て感じるダブルバッジを持つメリットを 彼は次のように語った。
「大学院生と同じくそれなりの教養を身につけているだろうという評価をしてくれることと、幅広い知識を身につけたことが仕事で役立っていることです。」
―彼が見据えていた通り、「時代が要請している力」は実際に会社が学生に求める力でもあった。ただし、まだまだ学士入学に対する理解は乏しいと彼は嘆く。
「社会から見たらレア物扱いされます(笑)日本は大学を出たらすぐ社会に出ることが良いという風潮ですから。」
―このことは毎年進路指導部が出す「業種別就職その他進路状況」からも伺える。2005年度に関して言えば卒業・修了者数7532人に対して学士入学を指す大学学部進学者数は45人という絶対数の少なさが際立っている。大卒者に占める学士入学者はまだまだ少数であり、特殊であると見られがちなのが現状なのだ。
最後に今後の目標を伺った。
「まだ会社ではペーペーなので一歩一歩先輩に近づけるようになって、その業界の第一人者になりたいというのが短期的な目標ですね。長期的な目標は自分の会社を立ち上げることです。今はどちらかというと誰かにアドバイスをする『参 謀』であって、あくまでも自分にはリスクが帰属しない仕事をしているので、自分としてはリスクも儲けも自分に帰属するプレーヤーとして市場に参加してみたいという気持ちが強いです。」
好きな言葉は「No free lunch」(注3)
学生時代に新たな分野を開拓し続けた、リスクを恐れないフロンティアスピリッツが今でも彼の中に息づいている。