杉村太郎さんは、あまたの優秀な人材を世に送り出し続けている「我究館(がきゅうかん)」の創設者だ。また、就職活動・自己分析の書籍として有名な『絶対内定』の著者でもある。
我究館は、大学生が自らの人生を振り返った上で本気の夢を描くことを支援するためのスクールである。その夢に至るまでの過程として、就職活動の支援(模擬面接やエントリーシート対策など)も行っている。
杉村さんは、慶應大学理工学部卒業後、住友商事に入社。その後シャインズとして音楽活動したり、TOEICなどのコーチングスクール「プレゼンス」を設立したり、ハーバード大学大学院でも学ぶなど、非常に多彩な経験をお持ちの方だ。
そんな杉村さんに、現役塾生の励みになるよう、「大学時代の経験」や「学生に向けての熱いメッセージ」など、お話を伺った。
―杉村さんは、どんな大学生活を送られましたか?
体育会で重量挙部に入っていました。また趣味でヨットもやっていて、ヨットのレースに出たり、インストラクターをしたりしていました。体育会生活の中では、早慶戦前の二週間が一番印象に残っています。それまでモチベーションが高くなかったのですが、合宿所の二段ベッドで、先輩が減量で眠れず、うめき声をあげてもがいている姿に心を打たれました。いい加減な気持ちでやっていた自分が恥ずかしくなった。それからの二週間だけです。僕が頑張ったのは。自分は選手になれず、早慶戦でも番付(ウエイトをセットする係り)でしたが、たるんでいた自分が本気になれたその二週間は、自分にとって大きかったです。
当時から変わっていませんが、僕は自分が好きなことは一生懸命やれる男だと思っています。遊びも、勉強もです。逆に、「好きではないけれど、やらなくてはならないこと」には、燃えられませんでした。今でもそうです。
―就職活動のお話を聞かせてください。
当時は「就職協定」というものがあって、8月20日以降しか就職活動・採用活動はやってはいけないことになっていました。しかし、それはただの建前で、8月20日以前から企業は採用活動をこっそり行い、8月20日前にほとんどの学生が内定を持っている、というのが実態だった。そんな、うそっぱちの学生・企業、文化が非常に嫌でしたね。
「自分は正々堂々とやるんだ」と思ったこと、また、自分にとって「将来のビジョン」が定まっていなかったということもあり、就職活動は8月20日から始めました。
―8月20日の時点では、もう意味を見出せていたのでしょうか…。
見出せていました。自分を振り返り、理想の未来を描いた結果、「僕はサラリーマンになりたいんじゃない」とわかった。じゃあ、何をやりたいのか・・・出てきた本音はたくさんありました。色々なことをやりたい。どれも嘘じゃない。それを実現するためには、「事業をつくるスキルを学ぶ必要がある」と考え、就職を選んだのです。
―大学卒業後は住友商事にお進みになられたようですが、商社業界に決められたのはなぜなのでしょう。
商社というのは、自由に、自分のアイディア一つで事業を形にしていくことができる。商社は何をやったっていいんですよ。通信事業やったっていい、プラントつくったっていい、工場を移転するのを手伝ってもいい、洋服を売ったっていい。自分がやりたいことは一つじゃなくていくつもあった。そこで、事業というか、「何かをやるしくみ」を学びたかった。学校をつくること、環境装置、色々なことに興味があった。商社ならば、どんなことでも事業にできると思って、志望しました。
―学生に、就職活動に関して伝えたいことはありますか?
「嘘をつく就職活動はするな」と言いたいですね。例えば結果のために「第一志望です」なんて嘘をつく学生が昨今多いが、情けない。
就職活動は自分を見つめるための一つのきっかけにすぎないのだから、目先の結果にとらわれず、(1)将来の夢を描くこと(何を目指していきたいの?何をやりたいの?)、(2)自分を磨くこと、この2点をしっかりと頑張ってほしいと思います。社会に出てから一番伸びているのは、結果だけを重視した人ではなくて、こうした「自分に正直で、嘘をつかない」就職活動をした人たちです。
もし就職活動の結果、自分が行きたい企業に行けなかったとしても、人生はいくらでも開かれる。本当に自分次第なんですから。
―学問についてお伺いしてもよろしいでしょうか?ハーバード大学に留学しようと思われたのはなぜですか?
学校を経営するものとして、もっともっと多くのことを学びたいと思った。学ぶ場所は、別に学校である必要はないと思っています。慶應義塾でなくとも、コンビニだろうとファミレスだろうと、学べるよね。しかし、「出会う人」は絶対に重要だ。慶應義塾では、とても素晴らしい出会いがあった。旅行でハーバードに立ち寄ったとき、「ああ、この人たちと一緒に学びたい」と思ったんですね。これが理由です。ハーバード以外も2校ほど受けましたが、他の学校に行く意志はなかった。
日本での大学受験のときは、失敗しているんですよね。自分が学びたいと思っていた海洋工学や海洋環境の分野は、慶應には専門の学科がなかった。慶應には、高校時代、慶應義塾高校の生徒とバンド活動をやっていた経験やイメージから、憧れていた。慶應には、学びたい学問の学部学科がないので、非常に迷ったが、二浪ではなく慶應を選んだ。その後、自問自答を繰り返しましたね。「俺は何しに大学に入ったのか」と。
しかし、慶應で素晴らしい先生に出会い、変わった。森敬先生という、理工学部教授だけど慶應経済学部出身だった方です。その先生の研究室では、様々な分野の学問をやりました。そこで、「勉強というのは、学部や学科なんて関係なく、やろうと思えばどんな環境だってできるんだ。結局、全ては自分次第なんだ」ということがわかりました。「どの分野でも、まず100時間集中して勉強しろ」と教えられたんです。僕らの研究室では、宇宙開発、医療、環境、海洋、マクロ経済モデル、計量経済、ありとあらゆることを専門的に学びました。勉強したけりゃ、勉強すりゃいいんだ・・・というスタンスで。
―我究館や、英語スクールの「プレゼンス(→英語を学ぶことで自己実現を支援する学校)」はどういった考えのもと、経営されているのでしょうか?
自分の学校を「就職予備校」だとか「英語学校」だとは考えていません。人材を育てるとともに、「価値観を提供していきたい」と思っているんです。具体的には、Dream(夢)とHope(希望)とPride(誇り)です。この3つがあれば、豊かな社会を創造していけると思っています。Prideがなければ、社会が腐っていってしまう。若者に「気がついて欲しい」と思っています。
―昨今は、「勝ち組」「負け組」などと、「他者との比較」によって自分を定義してしまう風潮がありますが、それについてはどうお考えですか?
(そうやって、他者と比較してしまう)気持ちはわかりますね。しかし、そんな勝ち負けに拘泥して、「本当に幸せなのかな?」と思ってしまいます。そんなくだらないことに拘って、自分を消耗するなよ、と思います。ベストを尽くして、それで納得できないことなんてありえないから。「俺は俺のベストを尽くす」という姿勢で生きていってほしいと思います。「勝ち」「負け」でなく「絶対」という概念を持ちなさい、と伝えたいです。自分の著書の『絶対内定』の絶対という言葉には、こうした意味がこめられています。
―今の大学生について、どう思われますか?
もっとパワフルになったほうがいいと思います。常識的な若者が多いよね。子どもっぽさとかバカさがあったほうがいいと思う。自分の同級生でも、社会に出て活躍しハッピーに生きている人は、決まって子供のような純粋さ、バカさを持っています。当時も今も。
今の若い人は、シビアさとかリアリティを重要だと思い込み、現実を恐れすぎている。
色々な人との交流を通して、Diversityを育ててもらいたいと思います。今の若者、日本の中の知識偏重で、価値観が狭いと思います。
日本社会の価値観って、ころころ変わるんですよ。そんなことに振り回されないで、「自分自身はどうしたいんだ?自分は社会はどうあるべきか?」という軸を見つけようとする探究心を大事にしてほしいと思います。
―では、最後に学生へのメッセージを簡単にお願いします!!
学生生活と社会人生活を比べると、社会人生活のほうが100倍も面白い!それは伝えたいですね。
■絶対内定2007シリーズ
http://naitei.diamond.co.jp/
■キャリアデザインスクール 我究館
http://www.gakyukan.net/index.html