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塾生インタビュー #31
■株式会社クララオンライン 代表取締役
 家本賢太郎さん(環4)
株式会社クララオンライン 代表取締役 家本賢太郎さん

1999年1月、アメリカのNewsweek誌にて「21世紀のリーダー100人」が紹介された。21世紀に世界を導くとされるリーダーの発表である。そして、その蒼蒼たる面々が連なる中、一人の若い日本人がいた。株式会社クララオンラインの代表取締役、家本賢太郎さんである。現在は慶應義塾大学環境情報学部の4年に在学中の学生でもある彼は、実は少し変わった経歴の持ち主。野球少年を夢見ていた小学生の頃、いきなり発病した脳腫瘍の除去手術が原因で車椅子生活を乗り越え、1997年には15歳にしてサーバーホスティング会社を起業する。会社は順調に成長し、今では日本だけではなく世界進出も果たしている。しかし2001年、彼は慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)への入学を決めた。何故彼は大学という道を選んだのか、彼にとって大学で学ぶということは何を意味するのか。経営者であり、大学生である彼の素顔に迫った。

■株式会社クララオンライン http://www.clara.co.jp/
■iemoto blog(ブログ) http://blog.iemoto.com/



■インターネットとの出会いから起業へ

―15歳でサーバーホスティング会社を起業されていますが、インターネットに興味を持ちはじめたきっかけは何ですか。
 僕は1996年に脳腫瘍によって車椅子生活になりましたが、その前まではプロ野球選手を目指している野球少年でした。それに、びっくりする程の機械音痴だったので、自分は一生機械には触れずに生きていくのではないかと思うぐらいでしたね。しかし、長い入院生活の中でパソコンというモノに出会い、そこからインターネットをやり始めました。当時はまだインターネットが普及していなくて、僕もメールを送ったりする程度でしたが、未来にはこれがかなり発展していくだろうという感じはありましたね。さすがにここまで早いとは思えなかったですが(笑)。

家本賢太郎さん

―起業しようと思ったのもやはりそういう思いからでしたか。
 もちろんそういう理由も全くないとは言えませんが、自分が社会との接点を持ちたいという気持ちの方が強かったですね。今ではこうやって自然に話していますが、車椅子になった当時は本当に生きる希望もないという精神状態でした。そこで学校に行こうとは思えなかったですね。ただ、生きている実感をしたい、社会とのコミュニケーションを取りたいという気持ちから仕事をしたいと思い、会社の設立に至ったと思います。


■大学への進学、そして学生生活

―それでは、何故会社が順調な成長を描いている今、学校に行こうと思われたのですか。
 今、仕事を始めて9年目ですが、最初の4年間は本当に失敗の連続でした。会社をちゃんと経営するためのお金もなかったし、だからといって未成年者の自分には貸してくれる所もなかった。また、僕の年齢で会社を経営している人がほぼいなかったので周囲からちやほやされたりもしていました。それで、一時期会社を傾かせてしまった時もあって、今から6年ほど前には全社員にやめてもらわなければならない辛い事もありました。しかし、そこから反省し学んだ事もいっぱいあって、会社も安定するようになりましたね。もちろん、今でも決して成功したとは思いません。
このようにビジネスという世界はとても厳しいモノで、常に完璧でいないといけないし、経営者としての自分をよく見せなきゃならない事もいっぱいあります。しかも、周りの社会人は僕より年上の方が多く、同世代と触れ合う機会も全くなかったので、自分が正直にいられる場所というのもあまりなかったのです。けれど、そのように自分が少し背伸び出来る場所がほしかったのではないですかね。

家本賢太郎さん

―何故多くの大学の中でSFCを選びましたか。
 色々な理由がありますが、まず、実は私と一緒に設立当時からクララオンラインを経営している者がいて、その人が先にSFCに入学したという理由があります。もう一つは、SFCのカリキュラムは自分がやりたい事を重視してぎりぎりの範囲までやらせてくれる所だったのでSFCを選びました。慶應義塾大学に入りたいという気持ちではなく、SFCに入りたいという気持ちでしたね(笑)。


―普段の生活はどんな感じですか。朝起きて授業に出て、友達と遊びに行ったり飲みに行ったりする普通の大学生らしい生活というのはありますか。
 普通の大学生らしい生活はあまりないですね。入学して1,2年生の時はやはり必修の授業とかがあって学校にいる時間も長く、比較的に大学生らしい生活を送っていましたが、この頃は自分がやりたい事がほぼ決まって論文を書かせていただいたりしているので、学校からすぐ会社に戻ったりする生活を送っています。

―学生という実感はありますか(笑)
 今あるかって言われると難しいところですね。ただ学生証は持っていますよ、たまに学割に使いますよという感じですかね。最近は、スーツ着て学割使うのもおかしいのかなと思ってそれも控えているんですが…(笑)。

家本賢太郎さん

―仕事との両立で大変だった事があれば教えてください。
 自分が働いているオフィスからキャンパスが遠いという事がかなり大変でした。仕事と学業をぎりぎり両立させなければならなかったので、入学当時は名古屋のオフィスから片道3時間半をかけて通学したりもしていました。それに、体育の授業のためだけに(環境情報学部・総合政策学部は体育が必修科目)学校に行くのもなかなか大変な事でしたね。今は東京のオフィス(有明)から通っているので昔に比べればかなり楽になりましたが、やはり遠いのは遠いですね。

―会社の経営者と学生という事のギャップもあったと思いますが。
 経営者は自分がやっている全ての事に責任を持たなければならないので、かなり厳しい世界ですが、それに比べて学生は色んな融通がきく立場だと思います。私の場合、普通とは違って厳しい世界から融通がきく世界へ行ったし、自分がやりたい事が決まっていたので、逆に色んな事をちゃんと得られたという感じですね。

―学校に通って得られた事とは何ですか。
 先ほども話しましたが、たとえば会社で営業に行ったりすると、関連知識は全て身につけて向うの質問に答えないといけない、完璧でいなければいけない立場ですよね。しかし、大学に行ってみると自分より年下の子が授業中に僕は全く知らない難しい事を普通にしゃべったりしていましたが、学校の教育を受けてない自分にとっては分からない事がたくさんありました。もちろん彼らにとってはそれが普通の事かもしれませんが。それで、自分にも出来る事と出来ない事があると気付かされ、謙虚になるきっかけになりましたね。学問は人を謙虚にするモノだと思います。

■学生のみなさんへのアドバイス

家本賢太郎さん

―最近はただ就職のために大学に進学する学生たちも増えていると思いますが、社会の経験を先にして学校に戻ってきた家本さんとしては、そのような傾向はどのように思われますか。
 僕はそういう場合、学校には行かなくてもいいと思います。視野の広さというのは大学でも身に付けられるモノですが、絶対行かなければならないとは思わないし、慶應大学だからいいとも思えませんね。しかし、学ぶという事を大学で経験している人はかなり強いと思います。社会に出てから、学べる事もたくさんありますが、学び方とか情報の収集の仕方、そして効率性を考える力とかは、大学だからこそ学べる事でしょうね。でも、自分が何故学校に通っているのか分からない場合は大学をやめてもいいと思います。

―最後に、これからは家本さんのように起業をしたいと思う学生たちも増えていくと思いますが、何かアドバイスがあればお願いします。
 ビジネスの世界は決して甘くないし、安易にはやっていけない世界ですが、若い人たちが社会との接点を持つ事はとても大事だし、是非積極的に起業してほしいと思います。特に大学生なら周りにそういうチャンスがたくさんあるでしょうし、大学のコミュニティの中では手伝ってくれる人も多いと思います。
何より、起業だけではなく就職しようと思っている方も含めて自信を持ってほしいですね。何故か最近の大学生の多くが、周りの人たちに置いていかれないようにする事に必死になっている感じを受けます。でも、社会が大学生に求める事って成長出来るかどうかの下地であって優れた能力などではないと思います。だから、みなさん学生時代には学生だからこそ出来る事をたくさん経験して、将来へ積極的に挑んでほしいです。




取材   鄭有眞
小竹秀明



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