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塾員インタビュー #8
■衆議院議員 民主党
 小宮山泰子さん

衆議院議員小宮山泰子さん。5年間の県会議員時代を経て,2003年11月の総選挙で民主党から立候補し,埼玉県7区で初当選を果した新人国会議員である。現実をよくする為の政策を立案する「きちんと仕事をする政治家」でありたいとインタビューに答えた小宮山泰子さん。「社会に還元したい」をキーワードに,学生生活,議員生活のお話を伺った。

■小宮山泰子オフィシャルサイト
http://www.yasko.net/




■「歌舞伎」や「能楽」のサークルに所属した塾生時代

小宮山泰子さんの原点は「社会に役立ちたい」という強い思いである。父親(故小宮山重四郎衆議院議員,元郵政大臣)が国会議員であり,母親がボランティア活動に熱心な家庭で育った環境が背景にあり,中学・高校時代に老人ホームで慰問を行うなど,常に自分を育ててくれた社会に還元する事を意識しながら,学生生活を送っていた。

そんな小宮山泰子さんが商学部を進学先に選んだ理由も,社会に役立つ実学を勉強したいという思いが背景にある。政治学などよりも,経済学や商学など実学に興味があった小宮山さんが商学部を進路先に選んだ理由は,「慶應女子高校の内部進学の学部説明会で『経済学部はヘリコプターで社会全体を高いところから分析する。商学部はヘリコプターから降りて現場レベルで社会を分析する。』という説明を受け,現実的に使える学問を学べる商学部を選んだ。」

小宮山泰子さんの学生生活は,「日本文化(歌舞伎研究会,能楽(観世流))」「スカッシュ」にまとめられる。友人に誘われ部室を使う為に入った「歌舞伎研究会」や,「歌舞伎研究会」と日本文化つながりで「能楽研究会(観世流)」,高校時代に英国に留学していた影響から「スカッシュサークル」に所属し,ゼミは商学部の村田ゼミでマーケティングを専攻。村田ゼミを選んだ理由は,体育会系的なゼミで自分を磨けると同時に,マーケティングと言う実務的な部分に興味を持っていたからとのこと。三田時代は村田ゼミ中心に図書館の開館から閉館まで篭って勉強をしていた生活を送っていた。

現在は,通信制の日本大学大学院で「文化経済学」の研究を議員の傍ら行っている小宮山泰子さん。「海外と同じように,日本文化のプロフェッショナルが日本文化で食べていける仕組みを作りたい。日本の文化マーケットは未成熟なので,政策的な面から改善して行きたい。」この原点は,やはり大学時代に親しんだ歌舞伎や能楽などの日本文化にある。

■政治家を目指すきっかけは,国会議員である父親の死


小宮山泰子さんは大学卒業後,NTTに入社する。NTTを就職先に選んだ理由は「ゼミ論文の研究テーマが『通信業界と独占禁止法』で,通信業界に興味があった為。そんなNTT時代に,小宮山泰子さんは捻挫をして,しばらくギブス生活で不自由な生活を経験する。そうした経験と国会議員であった父(故小宮山重四郎衆議院議員)の死が小宮山泰子さんと政治を結び付けていく。

「NTT時代に足を捻挫して,ギブス生活をしばらく過した事があります。安月給の中,タクシー代を払って,家と駅を往復し,駅は今ほどバリヤフリーが整備されて無く,全ての人に移動の権利が保障されてない事に気づいた,そういった日常の中の改善点を国会議員である父(故小宮山重四郎衆議院議員)が生きている間は,家庭内陳情と言う形で,家にいる時に捕まえては現状の改善を訴えれば良かったが,父が他界した後はどこに文句を言えばいいのか分からなくなった。いなくなって初めて家庭の中に議員がいた存在の大きさに気づいた。それが私が政治家を目指すきっかけです。」



■「若手や女性の声を県議会に!」県会議員生活

父である小宮山重四郎氏の死後,小宮山泰子さんは県会議員を目指し,1995年4月に見事当選を果す。埼玉県県会議員を志した理由として「政治に興味を持った時に,県会議員の選挙があり,当時の埼玉県議会は女性や若手の議員が少なく,その現状をまず改善しようとして立候補しました。」

小宮山さんは約5年間埼玉県議会議員を勤めることになるが,その間に総務委員長を最年少(当時35歳)で務めた。

「県会議員は議会開催期間が短い事もあり,それ以外の時間は『視察』という形で,『環境問題』や『ダム問題』『商業振興』など様々な形で現実を見て回る機会が与えられている。ただ,当時の議会は,視察と言っても『公共団体の関連財団』を視察するだけで,本当に視察を必要とする『民間施設』には予算の関係上行けないことが多かった。地方公共団体の視察は無料だけど,民間施設の場合は会議室使用料や,説明の人件費など視察に関して様々な費用を後で請求される。当時の埼玉県議会は緊縮財政で視察に関する費用が満足に出なかったので,『民間施設』の視察は敬遠されている経緯があった。
ただ,商業振興の場合などは,本当に人気のある民間施設を視察しないと意味が無い。そこで総務委員長時代に自腹を切って,東京都のビーナスフォートの視察を行ったのが印象的だった。」

小宮山泰子さんは,元NTTに務めていた経験や,ギブス生活の経験を活かし,埼玉県議員時代は「情報化政策」「女性政策」「バリアフリー推進政策」「NPO政策」を積極的に取り組み県政で活躍するが,国政を目指す為に約5年で辞める事となる。



■「ひも付き予算という現状を変えたい」という思いから県政から国政へ

小宮山泰子さんが5年間務めた県議会議員を辞め,2000年から国政を目指した1つの背景には,「ひも付き予算」という現状を変えて行きたいという強く熱い思いがある。

「全ての予算は国が管理し,全ての予算に使用目的が詳細に定められている。その為、地域から上がる声を反映できない。地方分権が叫ばれている中でも『良い予算ないですか?』と国に聞くのが市,県の姿勢。理想的には『これをやる為にこの額の予算を請求する』なのに,現実的には『国が指定した枠組みを消化する為に予算を使っている』という。具体的には,交通事故の多発する道路を改善する為に,本当なら『交通事故削減の為の予算』を申請する筈なのに,『子供の通学路整備の為の予算』の方が予算案が通りやすいというケースが存在する。そう言った背景から,予算案は流行の言葉が出てくる。今はさしずめ『都市の再生』が予算案を賑わす言葉になっている。

「そう言った予算の仕組みから見ても,地方分権ではなく,無駄遣いが多い仕組みとなっている。市や県の現状と国の予算の間に「差」が存在する事から,口利きが存在し,予算(税金)の無駄が発生する。そんな仕組みを変えたいとの思いから国政という舞台を選びました。」と国政を志した理由を熱く語ってくださった。



■小宮山さんの目指す議員像は「現実の中でキチンと仕事をする政治家」

「現実をよくする為に,キチンと仕事をする政治家を目指したい。そして,現実の中で普通の人でありたい。永田町は特殊な場所で,国会議員の人は、選挙で勝ち抜いた人しか来てない。また,官僚もある意味,競争社会の勝ち組であり,永田町自体が「勝ち組村」となっている。しかし,現実の社会は全員が「勝ち組」「負け組み」の両方で成り立っている。「勝ち組」しか存在しない永田町には独特のエネルギーがあり,永田町に長くいると現実を見るバランスが壊れてしまう。」

「例えば,国会議員が視察などを行いますが,多くの場合は『視察先は現実の姿じゃない』と言う問題がある。私は西武新宿線と丸の内線を使っていて,毎日,新宿駅周辺の生の姿を見ているが,国会議員が新宿のホームレスの視察を行った時は視察の為に前もって準備され,明らかに街の姿が変わっていた。現実を良くする為の政治なのに,永田町の人間には現実が見えないようになっている。」

「こういった永田町を取り巻く環境の中で,普通の人として,現実を見るバランスを壊さずに,現実を良くする政策立案を積極的に行いたい。」

■ 普段行かないような授業に出て欲しい

最後に塾生に対するメッセージとして,「興味がある無しに関らず,自分で見て、様々な経験をしてほしい。例えば,普段行かないような授業に潜って出てみるなどで,自分を広げて欲しい。学生時代にしかできない事をやってほしい。大学の授業を受けられるのは学生の特権です。」とのアドバイスを小宮山泰子さんに頂いた。


■小宮山泰子さんオフィシャルサイト
http://www.yasko.net/

■民主党
http://www.dpj.or.jp/


取材   宮田れい子
後藤俊介
吉川英徳



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