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塾生インタビュー #18
■ペピン結構設計
 石神夏希さん、里見有祐さん

人は結局すれ違っていくもの。対人関係において、「好き」とか「嫌い」とか「友達」とか言ってても本当は他人のことなんてわからない。幸せなんて相対的なもの。
でもそう言いきってしまうのじゃなくて、やっぱりわかりたいし、幸せになりたい。
他人の事はわからないからこそ想像力が必要なんです。
自分なりに想像して、この人は自分のこと好きなんじゃないのかなって思って愛せるのは間違っていないんです。



■ ペピン結構設計ってなんですか?

「ペピン結構設計」。不思議な名前ですよね・・・その名前の由来をお聞きしたいです。
石神 私と里見君を入れた5人で立ち上げたのが「ペピン結構設計」で、最初名前を考えようって話してたときに、私が持ってたデザイン本の・・・言っちゃっていいのかな?その本の出版社名からとりました。ペピンという響きがよかったんです。また、その本の名前だったstructural designs(=結構設計)ということばが表すように、箱の包装の構造を作るようなことをやりたかった。演劇の内容ってのは感性の表現なんです。でも、感性って?なんだそりゃ?って感じでしょ(笑)そうでなく、芝居をやることの構造を作りたかった。そんな意味を込めて、「ぺピン結構設計」に決めました。

―ペピン結構設計の結成にまつわるお話を聞かせてください。

石神・里見 私たちはSFC高出身で、推薦を早くもらっていたから大学入学前に暇になったんですね。そこで、舞台をやろうってことで、立ち上げました。大学にも演劇サークルはあるけど、大学の外でもやりたかった。

―それで「非公認団体」なんですか?「非公認」であることにはやはり、意図があるんでしょうか。

石神 公認団体だと、卒業したら大学に団体を残していかなきゃならないですよね。私たちは卒業しても、そうやって団体から出て行くつもりはなかった。大学を出てもこの団体で続けたかったんです。



■慶応生は演劇に対する関心が低い?演劇ってマイナーですかね??

―慶応は演劇が盛んな早稲田に比べ、演劇サークルが少ないと思うんです。その理由についてどうお考えですか。

里見 日吉キャンパスの劇場施設は使いづらいですよね。基本的に演劇の公演は塾生会館のアトリエ合同Cというところでやるのですが、そこには独自の管理団体が存在していて新参者が参加しにくいんですよ。
今まで2回日吉で公演を行なったのですが、ほんとに苦労がたえませんでした。
学内最初の2年間はSFCのΩ館の階段のたまりみたいなところ・・・う〜ん、なんていうんだっけ?

―踊り場のことですか?(笑)

石神 踊り場じゃないな、やっぱりあれはたまり。(笑)そういうところで公演していました。お客さんには階段にいてもらって。
里見 やっぱり慶応の演劇には、伝統がないですね。例えば早稲田は、演劇の文化を持ってる。演劇をしたいって人はそもそも早稲田を受験するんです。
石神 うん、環境と文化。その両方が慶応にはない。
里見 慶応では、演劇への関心が薄かったり、演劇の知名度がなかったりしていると思う。
石神 そもそも日本人には、あんまり演劇を見に行く習慣がないんだよね。

―慶応で演劇を広めたい、という気持ちになりますか?

石神 そういうわけでもないですね。やっぱり映像の方が入りやすいのかな。映像をやっていると、将来どうするのかが見えやすいし。でも演劇をやっているから将来どう、というのがない……夢が持てない。演劇っておしゃれじゃないですしね(笑)演劇には音響、照明、衣装…本当に沢山の要素があるんですけど、それが制約になっていて効率が悪いものなんです。何ヶ月も練習やって公演するのは数日だけ。つまり贅沢なものなんですよ。今の世の中ってそういう贅沢な文化を認める風習が無くって、どちらかっていうとリーズナブル文化を優先しちゃってる。でもね、実際は演劇っておもしろい。エキサイティングなものなんですよ。

里見 うん。演劇として広めていきたいという気持ちはないけれど、劇場に足を運ぶことは大切なことだと思っています。ヨーロッパには劇場を中心として周りに街が出来ていく風習があるんですよ。日本人にはそういう風に贅沢な文化を楽しむ習慣が身についていないことが、もったいないですね。

―お二人が演劇をはじめたころのことを教えてください。

里見 僕は、一緒にアカペラバンドをやっていた石神さんに誘われて。中学高校は、テニス部だったんですよ!(笑)
石神 彼の舞台でのセンスを感じて、演劇の舞台に持ってきたら面白いんじゃないかって。
私は、小学校のときに演劇部がなかったので自分で劇団を立ち上げました。

―小学校から!?すごい。なぜ演劇をやろうと思ったんですか?

石神 はじまりは、CMとかテレビのモノマネでした。子供のあそびですね。でも、ここでこう言う!っていうのを友達と繰り返しているうちに、それが劇になっていったんです。それを先生や友達を集めて見てもらっていました。

これは石神さんに質問したいのですが、演出と役者とではどちらが楽しいですか?


石神 全く別物って気もしますけど、完全には分けられないですね。でも私、本当は役者をやりたかったんです。やる人がいなくって演出をやり始めたのですが。
里見 そうなの?!あ、彼女は今回『東京の米』でキャストの体調不良で、急遽役者として出ることになりました。


■実際にはどのような演劇を作っているのでしょうか?


―『東京の米』について、くわしく聞かせてください。

里見 この作品は、2002年の8月に築地でやったもので、今回はその再演ですね。
内容は、東京の日暮里にしがない米屋があって……そこの主人が亡くなって、米屋の三人息子がお店へ帰ってくるんです。そこに亡くなった主人と関係があったらしい女の子がやってくるんですが、その子は米を生む女の子で、恋をすると米を生んでしまう体質なんです。

―お米を生んじゃうんですか?すごい発想ですね!

石神 そうですね。当時私はちょっとごはんが食べられなくなってて。なにがおいしいのか、目の前にある食べ物を食べていいのか?よくわかんなかったんです。これは食べていいものなのかとか、どっから来た食べ物なのかとか。そういうのが知りたいっていう気持ち。それを表現したかったんです。
そこからお米を生んじゃう女の子が誕生しました。女の子が生んでるお米をみんながおいしく食べてるかもしれない。それって気持ち悪いでしょ?でも今のみんなはそんなもんなのかもしれない。本当に誰かが生んでるお米なのかもしれないじゃない。

―『東京の米』はどんなメッセージがこめられた作品なんですか?

石神 だいたいそういうことはタイトルから決めることが多いです。脚本を書くときは、まずみんなでタイトルを決める。東京にある寂しいお米屋さんを見つけて、「米」と「東京」を合わせるとおもしろいんじゃないかなって。意外性のあるタイトル。それで、「東京の米」にしたんです。
それでタイトルが決まって、みんなで「米」と「東京」について考えてみたんです。たまたま実家が農家の人とか、タイでお米を作ってたことがある人とかもいて。
いつも何の疑問もなく食べてるのに、お米って実はどこから来てるのかはっきりとはわからない。食べるときに私たちは想像力がないのでは?という考えに至ったんです。たとえば新潟の魚沼産のお米は生産量よりはるかに多く市場に出回っているんです。贋物の魚沼産米ってのは誰もわからない農家で作られてる。自分の認識の外の世界からやってきているものなんです。
また、やっぱり東京も、捉えきれないところがある。私は横浜にいてなんとなく東京にいる気がしていたけれど、実際は「惜しかったね。はずれ。」ってぐらいの距離なんです。自分なりに自分との距離で、東京を捉えられたら…と思いました。
「米」を使って「東京」を考える。
「東京」を使って「米」を考える。
そういうことを「東京の米」ではやりたかったんです。

―では、『東京の米』の魅力はどこにあると思いますか?

里見 映像と役者の絡みかな。普通のお芝居とはちょっと違った舞台を見ていただけると思います。舞台演出も映像もちょっと違ったものを楽しんでいただける。
石神 人と人の、すれちがっていくところですね。
人は結局すれ違っていくもの。対人関係において、「好き」とか「嫌い」とか「友達」とか言ってても本当は他人のことなんてわからない。幸せなんて相対的なもの。
そう言ってしまうのは簡単なんですよ。でもそう言いきってしまうのじゃなくて、やっぱりわかりたいし、幸せになりたい。
他人の事はわからないからこそ想像力が必要なんです。自分なりに想像して、この人は自分のこと好きなんじゃないのかなって思って愛せるのは間違っていないんです。

でも、やっぱり人と人はすれ違っているんじゃないのかなって。


そう言いながら照れ笑いを浮かべる彼女に、彼女のその綺麗な心に、
いつのまにか引き込まれている私達に気付く。
彼女達の公演を、見逃してはいけない。




「東京の米」  ペピン結構設計  
東京国際芸術祭リージョナルシアター・シリーズ参加作品
第2回かながわ戯曲賞受賞作 再演
日時 2004/2/24(火)~26(木)
場所 東京芸術劇場小ホール1
詳細は、以下HPを参照
ペピン結構設計 http://pepin.jp


取材   伊庭野健造
 瀧宮瑶子



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