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塾員インタビュー #3
■株式会社トラフィックジャム代表取締役
 清水豊史さん(2000年経済学部卒)

人の心を動かすクリエイティブカンパニーTraffic Jam Inc.とは?
 00年経済学部卒の清水豊史氏が03年2月に設立した総合クリエイティブカンパニー。40人以上のクリエイター陣と6名のディレクター陣が,顧客のクリエイティブに関する相談を解決していく。様々な「人の心を動かすクリエイエティブ」を生み出しており,広告制作を軸にデザイン・映像・Web・音楽・店舗プロデュースをはじめ、様々なジャンルのアウトプットを世の中に送り出している。最近ではGoogle@VIRGIN CAFEなどのイベントを成功させている。

会社紹介
http://www.trafficjam.jp

#インターンなども募集しており,興味ある塾生は
 info@keio-j.comに【Traffic Jam:インターン】まで。




―どんな学生生活を送っていたんですか?

大学1,2年はバイトとバンド,大学3,4年は専ら自作映画の制作製作に取り組んでいました。中学2年生の時からバンド活動をやっていて,高校時代とかにプロデビューの誘いが2回ほど来るまで積極的に活動していたんですが,プロデビューすると契約上高校を中退しなきゃいけなかったので結局,そのままアマでバンド活動を続けていて,それが大学1,2年の時ですね。大学3,4年の時は,大学1,2年の時にバイトで稼いだお金を元手に友人たちと自主映画の制作製作に取り組んでいました。


―バイトって何をやってらっしゃったんですか?

お好み焼き屋の店員とか,マーケティング調査員とかいろいろやっていましたよ。ただ,一番印象に残って,一番稼いだのは某通信会社のテレアポ(テレフォンアポインターの略)のバイトです。電話越しの相手の都合を考えて,相手が暇そうな昼過ぎとかに集中的に営業電話をかけた結果,全国2位の営業成績を収めることができ,その結果月50万円以上稼いでました。ただ,あまりに収入が良すぎて,それが怖くなり半年で辞めてしまいましたけど。


―映画を作られたきっかけは?

小学校の同窓会で「映画を作りたいなあ」という仲間と再会したのがきっかけですね。翌日には友人たちを集めて50人程度のロケ隊を結成して早速,映画をつくり始めました。

偶然,テレアポの時に稼いだお金が手付かずで残っていたので,それを映画制作作成費用に当てるという感じで,自分が総監督などで指揮に当たっていました。

学生主体で作る映画なので,アクション映画やCGをフル活用する映画は予算的にも技術的にもどう考えても無理で,ラブストーリーの「人間関係」を中核に置いた映画を撮りました。テーマは「三角関係+親子+自然」でした。山梨の山小屋で一週間の合宿などを行いつつ,1998年に制作を開始し,結局,完成したのは2000年夏ですね。ちなみに2000年3月に自分は卒業しているので,映画が完成したのは卒業後です。

映画は2回に分けて上映したんですが,友人達に積極的に宣伝したおかげか,2回とも満員御礼の大盛況でした。

ちなみに映画の題名は「ひまわりのぬり絵」という題なんですが,大学3年の冬にスキー場で骨折した病院の目の前が「ひまわり畑」だったので,(冬なので)何もない畑が夏にはひまわりで一面にぬられるというところから名前をつけました。他にも「ぬり絵」のように自分達の色で映画をつくったり,また見る側にとっても自分の色(視点)で映画を見てほしいという意味もあります。


―卒業後は,就職されていますが,どうして就職されようと考えたんですか?

「経済活動」をよりリアルに、何よりも早く体験してみたかった。という一言に尽きると思います。
大学進学の時から,「経済活動」に興味があり,企業に就職するという事を将来の選択として考えていて,経済学部や商学部を進学先として考えていました。
「経済活動」は「人」「法人」のコミュニケーション活動だと考えていて,結局,経済活動に参加する主体というマクロ的視点から「経済活動」を勉強したかったので,経済学部を進学先に選びました。そういったのが前提にあったので,就職して社会の一員として経済活動に参加するというのは自分にとってはごく自然な進路でした。

メーカーを就職先として選んだ理由としては,「作る」という事が仕事選びの中で重要なキーワードでした。「自分の頭の中にあるイメージを形にする」という,物づくりの楽しさを経済活動に関わりつつ仕事上で実現したかったので,メーカーでの仕事を選びました。

― メーカーでしばらく働いた後に独立されたきっかけは?

色々な会社からWeb制作製作や広告制作などの依頼が舞い込んできたのがきっかけです。就職後も学生時代からのツテで仕事の傍ら,Web制作や広告制作をしていたのですが,とある会社の広告が大ヒットして,その結果,他の会社からも様々な仕事の依頼がくるようになって,メーカーでの仕事の傍らでこなすのが厳しくなってきたので,独立して自分のクリエイティブ会社を作ろうと思いました。

思い立ったらすぐ行動に移す性格なので,資本金を必要としない米国法人の日本営業所という形で法人登録して,次の日には会社ができていました。会社を設立したのは2003年1月ですが,2月には最低資本金制度の特例処置(いわゆる1円会社設立法)が出来たので,1ヶ月待てば日本でも1円で会社が出来たのですが,待てなくて米国法人という形にしました。(笑)


―会社員時代と起業後の違いは?

1つは解放感ですね。「仕事はやらされる」のではなく,「仕事は自分の力で開拓していく」という解放感と充実感があります。基準となるモノが存在しないので常にトライしてみて,そして方向性を随時修正しながら前に進んでいかないといけなくなります。試行錯誤の連続です。ただ、一方でお金を稼がないと社員を生活させることができないというプレッシャーもありますね。常に新しい仕事を開拓していかないといけない。


―起業後の最終目標はなんですか?

世界中の会社(法人)と一緒に,世界中の人々(人)を感動させるようなアクションを恒にしていきたいですね。その実現の為に,日々,頑張っています、


―最後に,大学時代を過すうえで重要なことはありますか?

「まず、動く!」ことだと思います。すべて自分なりに行動してから考える。考えてから行動するのでは遅いと思っています。
また、月並みですが「多くの人に出会い,人を知ること」も重要だと思います。その結果、
脳を活性化する。いろんな本や人に触れることで,多様な価値観に触れ,「自分という存在」を確立する貴重な時間だと思っています。


取材   吉川英徳



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