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塾生インタビュー #13
■日吉age 「うずき」
 石本華江さん

日吉駅を挟んで分断されている慶応義塾大学と日吉商店街。塾生が媒体となって今、ふたつの融合、そして日吉という街の再構築を図る21世紀の一大プロジェクトが進行している。
プレ開催となる今年の「HIYOSHIAGE(ヒヨシエイジArt .Gate. Effects.2003)」。13日に行われた第一弾ヒヨシエイジの、新しい日吉の始まりを告げるかのように見事に競技場の夜空に打ち上げられた花火の興奮が未だ冷めやらぬうちに、今度は第二弾、「うずき」が今週末31日(金)より11月2日(日)まで日吉商店街メールロードを舞台に行われる。(うずきウェブサイトhttp://www.t-tee.com/uzuki2003/
さて「うずき」、その正体とは・・?仕掛け人、石本華江さんに聞いた。




―まず、「うずき」とは、どんなものなのでしょうか。

わかりやすくいえば、商店街の道路をつかって、仮装行列をするというか。あの〜こう言っちゃうとちょっとね、問題があるんですけど、たとえばディズニーランドのパレードってあるじゃないですか。ああいうようなのを「うずき」という作品でメールロードでやるという風な意識をもってもらえると、まあ間違っているんだけどあながち間違ってはいないかなと。(笑)別に通り過ぎていくわけでもないし、見てあ〜楽しかったねぇみたいな、そういう感じに終わりたくもないし。もう少しアートとしての作品としてのものを持ちたいと思っているんですけどね。まあ方向性としてはあんな感じかな、と。
 なんかちょっと異物、不思議な変てこな格好している人たちが、街へ出てきて、一瞬の間居てっていう、でもそれだけでもなくって・・。
これが「路上パフォーマンス」で、もう一つ「日常アーティストプロジェクト」があるんですね。まずメールロードに来たお客さんがマップをもらうんですよ。『一時からたかせやさんというお布団やさんでDJと詩の展示をやります』と。それを見てお客さんはじゃあ一時から石本さんを見に行きましょうかという、それってすごく普通じゃないですか。
でも私がむしろこのプロジェクトでやりたいのは「只今休憩中」ってのなんです。

―「只今休憩中」ですか?!

私は、舞台という境界線があって、お客様が一列に並んでいて、舞台の上で踊る私を見る、っていう図式が実は一番嫌で。できればカフェとかギャラリーとか、人が一対一の関係を持てるような場所で踊るのが好きなんですよ。
普段踊っているところは見世物ので見せますよね。でも休憩しているところは見せないですよね。でもそこを見せたいんです。
さっき変てこな格好をしている人が街の中に現れてって言ったんですけど、ヒヨシエイジ全体としてもそうなんですけど、「うずき」っていう作品は、街の人たちとのコミュニケーションを第一に考えていまして、作品としての面白さよりも、「うずき」が終わった後に、どれだけ街の人と仲良くなっているかの方がが成功したかどうかの指針になると思っているくらいなんです。
変てこな格好した人がいきなりコロンと現れてもその人とお友達になろうと思わないですよね。私が白塗りをするとしても、白塗りをしていく過程を見せたかったり、白塗りとかしたままラーメン食べてるとかお茶飲んでるとか、そういうのを見せたいんですよ。
パフォーマンスは一部として考えて、それ以外の私の日常の方を見せる、だから「日常アーティストプロジェクト」。

―面白いですね。

まあでもねえ・・・そうやって話して学生だから面白いって言っていただけるんですけど 街の人には理解されない部分でもあって・・・。
メールロードさんとか日吉の商店街の方もすごい方ばっかりだから、少しづつね、話してればわかってもらえるようになってきてはいるんですが、でもまあ「アートとは」といっても、、ね。親よりも全然上の世代ですからね。

―では何度も対話を重ねて?

そうですね。でもまだこれは反省点でもあるんですけど、住民全体と話してるわけじゃないんですよ。
たとえば日吉協同組合の理事長さんとか、メールロードの通り会会長さんとかといわゆる代表者とは何度も会っているんですけど、でもほんとに友達になりたい人はそういう人も含めた住民の人たちでしょ?そういう人たちとまだコミュニケーションがないので・・・まあ残された日数でどれだけ話ができるか。そこはちょっと努力しなきゃいけないかなと思っているんですけど。
日本舞踊を四歳まで祖母、母の影響で学ぶ。憧れていた近所のお姉さんがダンスを始めたのを見て「ダンスがいい!」と母に言った。最初はいわゆるリズム体操。教室に通い始め、新体操、モダンダンス、そしてコンテンポラリーダンスと気づいたら踊り続けて20年。自然な流れで、モダンダンス界では名の通った地元愛媛大学に入学した。

あるとき母が口にした。「あんたそれでいいの〜?東京いったほうがいいんじゃないの」その時所属していたダンス部も先輩の影響でストリートダンス中心。「自分のやりたいダンスじゃないし、このままいてもなぁ」

愛媛大学を中退、上京し2000年、慶応義塾大学に入学した。

芸術系の大学も進学先に考えたが、ダンスだらけの自分の経歴を見て、「あ〜人生狭いなあ」と。慶応では演劇のサークルに入った。初めての舞台でもらった役は脱獄の女神ドロシネア。「これはおいしい役だな。どうアレンジしようか。」ベルバラの曲に合わせた独創的でド派手な振り付けでの登場場面は、観客に強烈な印象を残す。
現在文学部で美学美術史を学ぶ。専門は仏像。
―一年生の時に、新人公演で石本さんが演じたひたすら踊りまくるドロシネアの役を鮮明に覚えています。「足を派手にあげる振り付け」などは高校生の時の新体操部での練習が生きているのでしょうか。

そうではあるんですが、それから自分の中で方向性が変わってきたんです。
新体操をやってた高校生の頃の私は、かなり技術屋さんで、足上げてなんぼ、で。でも色々なダンスを見たりするなかで、なんかむしろ足あげることとか、こう日常生活と切り離したようなことではなくって、ジェスチャーのようなすごく日常的な身体の動きを「ダンスとして見せられればいいかな」という方向にどんどん意識がいって。だからこそ「日常アーティスト」という発想が出てくるんですけど。

―キーワードは「日常」ですか。

そうですね。でもまあ非日常の空間もすごく好きなんですが。
ただホールもともと非日常の空間じゃないですか。「非日常」の中で非日常やってもちっとも面白くないってのが私の考えで。でもこういうすごく日常的な場(注:インタビューは北館自習室)で私がわぁぁ〜って踊り始めたらここが日常じゃなくなっていくじゃないですか。そういうのがすごく好きですね。

―だから商店街の「日常」を変えると。

でもこれって、60年代70年代に寺山修二だとか唐十郎だとかやってるんですよ。じゃあ2000年の今やる意味を考えていて、やっぱそれなりのもの提示しないと二番煎じでしかないから。
自分の中でもまだ明確な答えがないんですけど、答えにならないかもしれませんが、今回こうやって商店街のみなさんと作品を作るチャンスを与えてもらい、わたしの中でも色々考えてみたんですね。来年からフリーでダンサーとしてやろうと思っているんですけど、来年からのことを考えた時に、自分の中の方向性として、ホールとかをベースにして作品をきっちりつくるダンサーじゃなくてじゃなくて、地域の人たちとの交流の中で作品を作っていくってことが将来的にやりたいんだなあ〜という目標がすごく明確化していきた、そういう意味でも「うずき」、「ヒヨシエイジ」をやって本当によかったと思っています。

―「ヒヨシエイジ」のように、全国各地で町おこしとして、地元と現代アートの融合したイベントが行われています
 
いろんな団体がいろんな町がやってて、「越後妻有」という新潟でやったトリエンナーレなんかは、すっごい規模でやっていて今年が六年目なんですけど。私が見ている中でほんとの意味で成功しているところは知らないんですよ。
今私たちがやることになって、やるからには成功させたいじゃないですか。私たちなりにその失敗の原因を分析してみたんですが、「住民のひととの交流がない」。アーティストと地元の人が境界線を確認するためだけにイベントがあるような。実行委員の方がすごく尽力されていると思うんですが、アーティストが自分のためだけに作った作品をポーン日常的なプライベートな空間に放置する、そういうアートの押し付けみたいのを感じて。で、住民の方も「現代美術なんて私たちと関係ない」という遠い視線、冷たい視線を持ってて、なんていうか溶け込んでないっていうか。

その点は、ヒヨシエイジについていえば、来年の第一回以降どこまでやれるか、わたしたちも見守っていきたいし、来年からの学生に努力して欲しいところなんですが。ヒヨシエイジの第一弾は、一緒に花火を「見る」、奇術愛好会を一緒に「見る」、今まで認知されてなかった日吉のお神楽を「見る」という一緒に何かを見るっていう大きなコミュニケーションですよね。それでできないよい小さなコミュニケーションを「うずき」が、「住民の人たちと」作品をつくることでやっていこうと。

具体的には、ライブペインティングを美容室YUMEYUIさんで行うのですが、絵の描く場所とか、絵の展示に関して一緒に相談しながら創っていったり、また、カレー専門店サンタさんが、うずきに合わせてカフェサンタに変身しようとしているのですが、そこのオーナーさんが、うずきの開催に間に合わせようと徹夜で作業するのを、うずきスタッフが手伝ったりとか。「一緒に創っていく」協働作業、コラボレーションを進めています。
告知も、ただチラシをまくとかだけじゃなくて、実行委員が日吉の地区センターのお祭りに潜入していって新婦人協会と交流したりだとか、「住民との交流」というものを目指してやっています。

ヒヨシエイジもね、どこまで出来るかわからないですけど、ね。やらないよりかはやった方がいいんで。

―最後に塾生のみなさんにコメントを。

まず、ヒヨシエイジってものに興味をもって今年は見に来て欲しいと思います。来年以降、住民との交流に興味ある学生が担っていって欲しい。来年の人材を求めています。
「うずき」の代表者として言わせてもらえば、作品というのはお客様がいないと完成しないんですよ。だから住民の人たちとのコラボレーション作品を用意しているんですが、積極的な関与を求めています。具体的には客席を置かないので、お茶飲みながら、談笑しながら、自由なスタイルで見て欲しい。踊れる人だったら一緒に踊ってくれればいいし、楽器できるだったら人は一緒に楽器やってくれてもいいし。去年布でお客様を囲むってのがあったんですが、その中で踊ってくれたんですよ。ぱぁ〜っとちょと踊ってくれただけなんですけど、すごく嬉しかったですね。
今年も是非積極的に、楽しんで欲しいと思います。

―最終的に、石本さんにとってヒヨシエイジの成功とは?

日吉商店街協同組合副理事の熊井さんに初めてお会いした時に、理想として語っていらしたことが私の理想でもあるんですけど、「日吉といえば慶応大学。日吉って言えばヒヨシエイジ。」という認識を作りたい。熊井さんは日吉の「ファッション」を作りたいと仰っていたのですが、東急沿線でも、若者の街代官山とか、高級住宅街の田園調布とかあるのに日吉ってファッションがない。日吉ってだから通り過ぎていく街じゃないですか。
慶応は旧図書館とかのある三田が目標としてあって、1,2年生の通う場所が日吉。これはパンフレットに問題があると思うんですけど。「あっ慶応って日吉にもあるんだ」そんな感じでしょ?
だから「日吉っていうと慶応大学。日吉って言えばヒヨシエイジ。」ってね。

でもそれを叶えるには大学、あと学生の協力と、、何をもっても住民の理解がないとね、できないですから・・・。


『衝 うずき2』

日常を非日常に塗り替える住民と学生のコラボレーション
◇日時:10月31日(金)〜 11月2日(日)13:00〜21:00
※会期中毎日、18:00〜19:00路上パフォーマンス
※小雨決行。
※メールロード商店会主催フリーマーケット同時開催(11月1日のみ。10:00〜16:00.雨天順延、2日同時刻。)
◇場所:日吉商店街メールロード内各店舗及び街路
※東急東横線日吉駅より徒歩3分
◇料金:入場無料
詳細は、うずきウェブサイトhttp://www.t-tee.com/uzuki2003/ 


取材   南郷史朗
 岩原日有子



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