残暑が厳しく、まだセミの声が聞こえる日吉キャンパス。目のくらむような日差しとはあまりにも対照的な学生会館の地下で、「夕空スタイル」の出演者たちは公演に向けて黙々と練習をしていた。2ヶ月もの期間をかけて彼らが伝えようとしているものとはなんなのか?
―一般の方にお金をとって見せるということは、かなり大変なことだと思うのですが。
当然脚本や演技など、高いクオリティが問われます。学校でやるときはお客さんも学生ですから、「同じ学生だから」っていう暖かい目で見てくれます。でも劇場でやるとなると、見に来る人もそれなりの心構えで来るというか、「お金を払っているんだ」シビアな見方をしてくるわけです。うちわで盛り上がるっていうだけでは通じません。だからこそ楽しいし、やりがいがある。「学生の演劇」っていうアマの土俵ではなくて、プロの土俵で戦いたかったんです。
―そういったプロへの意識はどこから来るんですか?
僕らの世代って戦う相手や場所がないじゃないですか。モラトリアムとして与えられた学生時代、世の中も平和だし学生運動も無い。それに甘んじて、限られた空間の中だけでなんとなく暮らすのが嫌なんです。もっと外に向かって、不特定多数の人を相手に自己主張がしたい。というか自分の世界観を見てもらいたい。そのためにも、あえてホームでは戦うのではなく、最大限の無茶をしたいんですよね。演劇でメシを食っていきたいからとか、そういうのではありません。
―演劇はあくまで自己表現の手段の一つであると。
少なくとも僕にとってはそうですね。実は演劇を書くのはこれが初めてで、それまでは映画を撮ってたんです。短めの作品を5本くらい。これからもどちらかに絞るとかそういうことはしないで、自分が表現したいことを表現したい形で作っていければと思います。
―鈴木さんにそこまで自己表現をさせるのはなんですか?
うーん、一言で言えばモテたいからってのが最初かな(笑) バンドでもおしゃれでも何でもそうでしょ、初期衝動ってみんなそんなもん。まぁ当然それだけじゃ続かないわけで、ここまできたのはやっぱり表現することが楽しいからかな。だって楽しくなかったら夏休みまるまる費やしてなんかできないでしょ。
―最後にずばり「ここをみてほしい」っていう見所を教えてください。
全体を見てほしいってのが本音ですが、あえて1シーンをあげるとすると、丘の上で主人公達が街への思いを語るシーンですね。ポツリポツリといった感じで話しているのですが、そういった一言一言がこの街を作り上げているんです。そういった意味では、ここが夕空スタイルを最も象徴しているシーンだろうと思います。この作品自体、街の様々なイメージを散りばめて作られていますからね。