> 慶應ジャーナル > 探偵!慶應スクープ > Case 3
Case 3
■三代目社長の四人に一人が慶應卒!?

 「〜二代目・三代目以降の創業者一族の社長では慶大卒が圧倒的に多くなる。二代目では9.9%と一割にとどまるものの、三代目以降では24%と四人に一人が慶大OBになる。〜」
 これは、今年7月に刊行された「ファミリー企業の経営学」の中の一節である。慶應のイメージとして良いとこの子供が多いというのは、我々塾生に共通した感想だろう。しかし、データで表現されると、改めてその数字に驚く。そして、この数字を導く背景とは、、、。
 そこで、我々慶應ジャーナルは、著者の富士総合研究所倉科敏材上席理事に直撃し、真相を探った。そこで得られた真実は、全ての塾生に共通する「生き方の形成」そのものを問うものであった。




Qなぜ、三代目社長に慶應の卒業生が多いのでしょう?

 いくつかのケースが考えられると思うのですが、親が慶應を出ていないから、息子には苦労をさせたくないというケースがありますね。これは下から来た人が多い。幼稚舎からとったり高校からとったりも含めれば相当な数になる。創業者は苦労しているから中高一貫で楽をさせたいと考えるケースです。

 もう一つは、親が慶應を出ていて気に入ってるから息子も通わせたいと。私たちの世代でも今でも誰々の社長就任祝いだの何だのと集まってくるんですけど、学生時代お互い何やっていたかというと実は思い出せない。でも、みんなバラバラかというとそうでもなくて、グループでつるんで遊んだり、本を読みあったりしていて仲間意識を感じながら楽しんでいた。そういう経験から自分の子供にも同じ体験をさせたいというのがあると思います。

 最後は、そういうのに関係なくて偏差値が良い、いわゆる世間的に一流大学だったという理由です。自分の後継者にも一流大学に出て欲しいという時に、大学ならどこでも良いという中、たまたま慶應だったというケースですね。

 この中で私の個人的な経験では2番目の理由を重要視しています。今に比べて昔の方がのんびりしていて東大とも偏差値の開きは大きく、東大にいけない奴が来るという雰囲気でした。今みたいに東大や一橋あたりと偏差値に差がなくなり、擬似東大みたいになって慶應の特色が薄れると、学費も安いし国立にに行った方が良いと考える人が増えるかもしれません。


ファミリー企業の経営学、倉科理事


Qでは、慶應の特色とは何ですか?

 慶應の特色とは、他の大学に比べて改革意欲があることです。そして、それが社会にも見えているのだと思います。先進的な学部を作るとかチャレンジをしようとしている。それを慶應の特色として常に維持していく、大学が差異化を続けられるかが重要ではないでしょうか。

■ファミリー企業の子弟には普通以上に自律が求められる

Q慶應出身のファミリー企業社長に特徴はありますか?

 非常に世の中を幅広く見ていて、社会的責任を感じ取っているという感じがします。例えば、企業統治を考える日本ガバナンスフォーラムの立ち上げに、特にメルシャンの鈴木さんと資生堂の福原さんが主体的に関わられました。鈴木さんは味の素の一族で、福原さんも福原一族の御曹司なんですが、サラリーマン社長ではなく、オーナー社長から企業倫理を考えなくてはならないという話が出てきたことが重要です。サラリーマン社長では目前の収益を上げて株価をあげるかというところに関心が行きがちなのに比べ、視野の広い人が多いように思います。

 それは、慶応で余裕のある大学時代を送り、授業以外でも世の中の経験を積んで、”自分が将来継ぐ会社は社会に対してどのような役割を果たすべきか”を問い続けていたのが反映されていると思います。福原さんについても、大学の授業外で、”企業が果たす役割”とか”企業は何か”といった問いを根源的に考える機会を得たのが、このような動きに繋がったと思います。ガリガリのサラリーマン社長ではそこまでの余裕はないのではないでしょうか。

 もちろん、東大出身の方でも視野の広い方も多くいらっしゃいます。昔の東大は全寮制の一高から来ていたりして、ゲーテとかカントとかを読んで天下国家を論じ、自分はどう生きるかという社会的責任を意識していました。でも、今は旧制高校なんてなくなって、勉強さえ出来れば入れるようになり、その色は薄れています。

 慶應がそうなってしまっては困るので、地域や社会への自身の貢献を視野に入れて、大学で勉強だけではなく余裕を持った全人格教育を期待しています。先のガバナンスフォーラムも、日本でそんなこと言われていないうちに「企業って何なの」という問いに答えようとしました。「企業は社会の中でどんな役割を果たさなければならないのか」って問いに「お金儲けだけしてればいい」ではなく、地域とか社会に貢献していくという答えを出した。そういうことを大学時代に考える余裕があったかというのが後になって効いてくるのでは、と感じています。

 そして、それこそが福沢先生の言う『独立自尊-国家が自立するには個人が自立しなければならない-』を極めていくことだと思います。特にファミリー企業は経営者に権力が集中する分、誤った方向に行くと社会への影響も大きいので、普通以上に自律が求められます。そこで、大学時代の余裕をどう活かしどう過すかが重要です。もちろん、自律に失敗すると世の中を知らないボンクラ社長になる危険も孕んでいると思います。


一世紀にわたる伝統を誇る三田校舎

Q慶應自体が富裕層のコミュニティーとして機能している側面はありますか?

 その役割は大きいでしょうね。今日本の50億100億持っているような富裕層は邦銀ではなくスイス銀行に預けたりしています。それは、家のローンを抱えているようなサラリーマン銀行員では、自家用ジェット持ってるような顧客の気持ちは分かりません。だからJPモルガンなどでは、担当者は頭取以上に何億もする年収を貰って、そのコミュニティに入り、別荘を買いヨットを買い同じ生活水準をして、同じレベルの金銭感覚だから分かる顧客の悩みに応えます。そして、何十億も資産を持つ顧客を引っ張って多額の収益を上げています。

 慶應もそれと同じことで、ファミリー企業の子息が、同じように家を継ぐべきものの悩みを、同じ世界の住人として相談し会える友人を作る場として機能している側面はあると思います。自分の頃も、40年前に自分の赤いアルファロメオで登校していたのがいたり、石原慎太郎や裕次郎そのままの世界のがいました。

 でも、だからこそサラリーマン以上の倫理を持たなくてはいけません。イギリスのジェントルマン、貴族階級は戦争中最も戦死率が高かった社会階級でもあります。普段、裕福な暮らしをしているからこその社会的責任を感じ、国家に大事があれば真っ先に突っ込んでいきます。高い教育、収入、ポジションに見合った自分を律する責任は、他の人よりも求められているといえます。


■目先だけでなく、異質なものと触れ合って、人格を高めて欲しい

Qそれでは、最近の学生は即戦力志向が強く、資格や直接的なスキルを見につけようとしているといわれますが、どう思われますか?

 それは由々しき事態ですね。確かに資格やスキル的なものは、社会的に一つの軸かもしれませんが、モノの考え方とか専門以外のことを幅広くアクセスする方が、後になって効いてくると思います。仕事は何十年もやるわけだから、一年や二年専門的にやったところで何なんだと。それだったら、もっと基礎的な自分を律するという意味の自立と、自分で立つという意味の自立、二つの「ジリツ」を高めた方が良いでしょうね。

 そして、その中で医者とか会計士とか弁護士のように専門職と、経営者とがいろいろな人種がいるというのが慶應の魅力ではないかと思います。もっとも、企業側もそれなりに扱いやすく反抗しない羊の群れを求めているところがあり、それに答えようとする慶應の学生も多くいるという現状はありますが。

 そして、全人格教育という面から見ると、今の大学の先生は○○論と専門を教える先生ではあるけれども、人生の師という色が薄れていると思いますね。本来の大学の役割は、生涯の友人や人生の師に突き当たるかが重要ですが、今の大学の先生には余裕がないようです。このままでは、専門学校と何も変わらない就職予備校になってしまうのではないかと危惧しています。しかし、財務会計だの管理会計だのといったスキル的なことなら専門学校のほうがちゃんとしています。そして、彼らの方が大学よりもっと実践を見据えた教育をしています。それだけを大学で勉強するくらいなら、最初から専門学校にだけ行けばいいわけで。

 今、大学では実践的教員とか、学生に受ける具体的なものを教える教員が求められています。でも、やはり大学教育の役割は、友達や教員と触れ合いながら悩みを語り合い、将来を論じ合うところにあります。そういうのがなくなり、専門学校化して行くようでは大学の存在意義自体が疑われるようになるのではないでしょうか。



■大学で何を学ぶか

Qそれでは、最後に読者の塾生に大学生活を送る上でのアドバイスをお願いします

 学ぶ内容を戦術的にやるのではなく、議論をしたり、人格形成や物の見方の基礎を養うことが大学での勉強だと思います。戦術的な勉強は会社に入ってから、どんな会社に入りどんなポジションに着くかで変わってきますから。その意味では慶應はそれなりのレベルの人が集まり、何かをやってやろうという気構えのある人が多いので、その環境を活かして欲しいですね。

 私自身を振り返ると、色んな知識や経験を共有できた人たちと仲間意識を持てたように思います。志を同じくする人が、みんなで何かをやってみようとする経験。そういう物理的な場が大事だと思います。それを大学がなかなかやってくれないので、意図的に自分の専門だけではなく、色んな自分の人格形成に役に立つ場を複数活用して、自分を高めてもらいたいですね。自分と似たような人たちだけでなく、異質なコミュニティーに飛び込んでいく、自分の目先の専門講義だけではなくて、早い段階から異質なコミュニティーと接点を持つ方が、人格形成の促進になると思います。それが2年、3年続けばかなり違ってくる。

 それは、サラリーマンになる人も同じです。福澤先生の意向では「実学」が慶應の真髄であるといわれています。企業が求めている本当の「実学」はスキル的なものではなく、異質なものから独創的なものを生むことです。同質なものの中からは同質なものしか生まれません。異質なものと触れ合って、自分の人格を形成していくということを心がけて欲しいです。昔は自分達以外の学生が何をやっているのかわかりにくかったけれども、今は慶應ジャーナルさんのように、自分達と異質なものの存在を知る手段は恵まれているので是非活かしてほしいですね。
『ファミリー企業の経営学』 倉科敏材著 東洋経済新報社刊

倉科敏材

1944年大阪市生まれ、67年慶應義塾大学卒業
同年、東芝入社後、富士ナショナルシティコンサルティング、三菱総合研究所を経て
93年富士総合研究所入社、97年同社理事、2001年同社上席理事


取材   村井裕一郎
 大平明日香



探偵!慶應スクープTOPへ | 慶應ジャーナルTOPへ