> 慶應ジャーナル > 探偵!慶應スクープ > Case 10
Case 10
■WinnyはCDの売上を阻害しない!?
 経済学部・田中助教授インタビュー
経済学部・田中辰雄教授

3月5日NTTドコモが、携帯電話の社会に及ぼす影響を調査する目的で設置した「モバイル社会研究所」のシンポジウムにおいて、一人の慶應義塾大学助教授が自らの研究成果を発表した事が報じられた。その助教授とは経済学部所属の田中辰雄先生。田中辰雄先生の行った研究 ―それは、著作権侵害問題で世を騒がせているファイル共有ソフト「Winny」がCDの売り上げ減少と相関を持つのか― というものである。研究結果により田中先生が出した答えは"NO"。果たして田中辰雄先生とはどんな方なのか、そしてこの答えを導くためにどのような研究・調査が行われたのか、その真相を探るべく田中辰雄先生に取材を試みた。

■シンポジウムに関する記事
http://www.mainichi-msn.co.jp/it/coverstory/
news/20050307org00m300062000c.html



■僕も生徒も"自分の研究"と思えるのがうちのゼミの特徴です。と話す田中辰雄先生。

「Winny」とは高速性と匿名性を備えた、ファイル共有ソフト。日本で開発されたソフトの一つであるが、独自の情報交換システムを持つのが特徴。このソフトを使うことにより、音楽や画像を匿名で自由にダウンロードし保有する事が可能となる。
「Winny」に関する情報(IT用語辞典より)
http://e-words.jp/w/Winny.html

―塾内ではどのような研究を行っているのですか。
情報通信産業の計量経済学的な分析です。それしかしていません。これは僕の研究会でも同じです。うちのゼミ(研究会)は変わっていまして、他のゼミはふつう手法を決めるか対象を決めるかのどちらかしか限定しないのですが、うちはどちらもはじめから限定してあります。限定することで、コラボレーションや議論が活発化して、良い結果が得られるだろうと考えるからです。もっとも、経済学部の生徒は1,200人もいるのでそのぐらい限定してもいいのではないかと思いました。

―そのような"限定された研究"という特色はうまく機能していますか。
今のところうまくいっています。僕自身の研究内容と研究会での研究・活動内容を一致させることでより理解も深まり、協力することも可能となるため両者にとってメリットになっているのだと思います。ゼミに参加している学生はコンピューターに関して、ベンチャーに関して、Eコマースに関して、そういったことに興味を持った学生たちがわいわい集まっています。データを集めてグラフにしたり、式をあてはめるのが好きな人もいます。

―ということはご自身の研究活動もゼミに所属する学生とたちと協力してやっていらっしゃるのですか。
まさにそのとおり。自分の研究と生徒(研究会での活動)が別でずれていると、学生に割く時間を別途つくらなければいけない。しかし一緒であれば、同じ方向を向いているので、互いにとってメリットとなる。学生からしてみても、僕自身も"自分の研究"という共通認識をもつことで、より研究に対して熱心になる。お互いが自分の研究テーマと重ね合わせて考えているんです。

―学内で研究以外に何か取り組んでいらっしゃることはありますか。
サークルの活動などあればそれに該当するのだと思いますが、特にしてないです。研究・教育中心に活動しています。

■NTTドコモが創設した「モバイル社会研究所」について

http://www.moba-ken.jp/
―どのような研究所なのですか。
この研究所はドコモが広く社会に貢献するような研究をしたいということで設立されました。モバイル、つまり携帯電話が世の中に非常に普及したことをうけて、NTTドコモが社会的責任を果たそうという意図があります。この研究所のテーマを見てもらえばよくわかりますが、災害や子供の安全、著作権など、経営のための研究ではない。たとえば、携帯電話は新聞・テレビなどと比べる時、どのような位置にあるのか、そういったことを調査・研究するのが設立の意図で、営利目的ではないので、僕も参加することにしました。NPOに近い組織です。
NTTドコモの内部組織ではあるので、運営資金はNTTドコモから出ています。研究結果は、NTTドコモという一企業の枠を超えて社会貢献をするものであるので、この研究所がもっと有名になって社会的なステータスとなればいいと思っています。最近の社会問題では、"携帯電話"というのは必ずといっていいほどそのキーワードとして出てくる。長期的な展望としては、一般的に社会全体が抱えている携帯電話に関する問題や可能性を議論したい、というのが研究所の趣旨と私は思っています。

―研究所の構成メンバーはどのような人たちですか。
経済学をやっているのは僕ぐらいで、あとは法学者や社会学者がほとんどです。
社会学を専門としている人などは、特にユーザーの受ける影響などを中心に研究しています。僕は経済学的なアプローチで携帯電話の及ぼす影響を調査・研究しています。

―この研究所の設立にあったっては、IT化の進行を受けて民営化に動いたNTTドコモの流れなどと関連する所があるのでしょうか。
これに関してはNTTドコモという企業の考えることなので、私は想像するしかない。たぶん、IT化が進んだことよりも、携帯電話が予想をはるかに上回る形で日常の一部になったので、企業も営利だけ追求しているというだけではダメで、ある程度客観性のある立場から見なければならないと感じるようになったのではないでしょうか。NHKが放送に関する全般的な研究所を作ったように、携帯電話についても同じようなことを試みたのでは、と。例えばテレビはどの家庭にも入っているので、無関心にはなれない。ただし、これはあくまで僕の推測です。

―田中先生はNTTドコモ側からのお誘いで研究所に入られたのですか。
そうです。この研究所ができたのは去年で、私は設立当初からいます。

■「モバイル社会研究所」のシンポジウムで発表された研究について

―今回のような研究をしようと思われた背景・動機は何ですか。
音楽に限らず、デジタル化が進むと、コンテンツがネットワークの上を流れるようになる、音楽、映像、文章など。そのような流れの中で著作権問題が障害になっていた。例を挙げると、現在の個人のホームページの半分くらいは厳格にいうと著作権法に違反したものです。音楽をBGMとして流すことや、テレビをキャプチャーするのはダメ、ビデオデッキで録画したものを海外に送るのもダメ、テレビの放送を受けて、それをADSLでテレビの見られないところに送るのも違反なのです。ふつうそうでないと思っても違反なことがとても多い。そこで、私は著作権が強すぎるのではないか、これではユーザーの利益が失われているのではないか、と思ったのが最初のきっかけです。
音楽の交換は盛んに行われている。しかし、そのことによって本当に著作権者が不利益を被っているのか知りたい、というのがこの研究を始める動機となった考えです。

―これは大学での先生の研究とかなりリンクしていると思いますが、この研究所に入る前からそういったことを考えていらっしゃったのですか。
現行の著作権があまりに強すぎるということは以前から考えていました。

―では、実際にファイル共有ソフトを使用することによる音楽のダウンロード数と実際のCDの売り上げの相関ついて、何故両者が無関係であるという答えに至ったのでしょうか。
まず僕の出した結論を言うと、(ファイル共有ソフトを使っての)ダウンロード数が増えるからといって、売り上げが下がるというわけではない、ということです。
確かに1998年を境にしてCDの売り上げは減少している。しかし、CDの売り上げが下がったことに対する原因が音楽のダウンロードであるかどうかには疑問が残ります。まず、CD売り上げ減少の圧倒的な理由は、少子化です。15歳から25歳というのが音楽を一番聴くといわれている年代です。そのヘビーリスナーと呼べる年代の人が減ったのが大きな原因と考える事ができる。大学が定員割れ、ゲームが売れなくなった、といったことからも少子化の影響が大きいことがうかがえる。第二の理由は、若年層の新たな支出項目が急激に増えたことです。その新たな支出が携帯電話です。 人によっては毎月8000円使う人もいる。そんなに使ったらCDを買うお金を削らなければならないことは予想できます。さらに、インターネットをやっている時間は、音楽をあまり聴かなくなる。今までは音楽を聴いていたはずの時間がインターネットに取って代わってしまった。このような他の要因も考えなければならない。そして、もう一つ大事なのはタイミングの問題です。CDの売り上げが減少し始めたのは98年以降で、ファイル交換が盛んになったのはそれよりずっと後なので、タイミング的に一致しない。こういった事から調べる必要があると思いました。調べる必要があると思いました。

操作変数法グラフ

▲(図)操作変数法による分析。
ダウンロード数とCD売上に相関は見られない。

―操作変数法について、これはどのようなものなのか教えてください。
三田で計量経済学のTを履修すれば学ぶことなんですけど、実際履修するのは100人もいないので、あまり知っている人はいないですけどね・・・。
(以下はジャーナル編集部員が取材の際に田中先生から受けたレクチャーをまとめる形で書きました。)
まず、それぞれ集めたデータをもとに、ダウンロード数とCDの売り上げ枚数を軸としたグラフを作成してみましょう。データは調査のために独自に集めたもので、週間オリコンチャートの上位30位に入った曲について、それらの曲のダウンロード数を「Winny」の参照量から導き出しました。そうすると、集まったデータは右上がりの形状を示します。つまり、CDの売り上げ枚数の多い曲はダウンロード数も多い、という結果です。
ただし、だからといってダウンロード数が増えることで、CDの売り上げが増えるとはいえない。むしろ因果は逆で、CD売上枚数が多いようなヒット曲は、ダウンロード数も多いというのが普通の解釈でしょう。ダウンロード数が増えるとCD売上枚数が減るという効果があるかどうかは、別の方法で確かめる必要があります。
そこで使われたのが「操作変数法」です。操作変数法とは、CD売上だけ、あるいはダウンロードだけに影響を与えるような新たな変数を加えることで正しい分析結果を導き出そうというものです。今回の調査の例で言うと、オリコン上位30曲と一概に言ってもいろんなジャンルの曲が混在しています。そこで、演歌や冬ソナのテーマソングといったダウンロードされにくい(と考えられる)曲と、J-POPやゲームの挿入曲などのダウンロードされやすい(と考えられる)曲という風に二分してみます。ここで後者の売上が前者より低ければ、ダウンロードのせいでCD売上が下がっていると言えます。このときのジャンルわけが操作変数です。この着想を厳格に定式化したのが操作変数法です。

すなわち、ダウンロードされやすい曲とダウンロードされにくい曲の二つにカテゴライズした場合、もしも「Winny」の影響によりCDの売り上げ枚数が減少するのなら、ダウンロードされやすい曲(POPやゲームの曲)は図の右下に現れ、ダウンロードされにくい曲(演歌など)は左上に集まるでしょう。そしてそれらを結ぶ線は右下がりになるでしょう。
このような推測をしたうえで実際に調査結果を図に示してみると、これら二つのカテゴリーを結ぶ線はほぼ水平かやや右上がりになりました。このことによりファイル共有ソフトを使った音楽のダウンロードとCDの売り上げ枚数の減少が相関を持たない事が主張できる、ということです

―では、どうしてこのような結果(つまり音楽ファイルのDLとCD売り上げは直接影響しないこと)が得られたのでしょうか。
ひとつの仮説は、これは需要が違うから、つまり、CDを買う人は買うし、買わない人は買わないからだという説明です。

―需要が違うという考えはどこから来ているのですか。
これは仮説です。ファイル交換で音楽ファイルを得ている人にヒアリングをしてみたところ、音楽ファイルのダウンロードを禁止されたらCDを買いに行くかと聞いても、買いに行かないという答えがほとんどだった。実際にダウンロードしている人はすごい量の曲を得ている。週に100曲ぐらいやっている人もいるとか。これらの曲を聴いている時間はなく、ほとんど死蔵されてあとは捨てている。このような人がファイル交換が禁止されたからといって、CDを買いにいくとは思えない。
もう一つの可能性は、探索、宣伝効果です。ファイル交換というのは、探索過程なので、いわば巨大なインフォーマルな試聴になっている面があります。ファイル交換で話題になると、いろんな人に口コミで広がり、良さが伝わる。そして気に入った曲があればCDを買いにいく。これはまだ仮説の段階で、ダウンロードが増えても売り上げが下がるというわけではない、ということしか今の時点ではわかっていないので、これから調べる必要があります。

―技術者側(コンテンツプロバイダー)としては、懸念が大きい。批判もあるのではと思うのですが、研究者側から技術者側に言える事はなんでしょう。

NTTドコモモバイル社会研究所のシンポジウムが開催された二日後の3月7日、田中先生は財団法人デジタルコンテンツ協会(DCAj)のシンポジウム「P2Pコミュニケーションの可能性と法的課題―コンテンツ産業はP2Pといかに向き合うべきか―」においても同様の研究結果を発表されている。
関連記事 http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2005/03/08/6754.html
P2Pとは、不特定多数の個人間で直接情報のやり取りを行なうインターネットの利用形態。
参考資料 http://e-words.jp/w/P2P.html

これはビジネスモデルとしてP2Pを使うのは、Winnyのような匿名型のファイル交換システムでは非常に難しいだろうという懸念です。P2Pでお金を取るならちゃんと相手を決めて課金をするシステムを作らなければいけないでしょう。この点は私もそう思います。戸叶さん(ヤマハ法務・知的財産部音楽著作権マネージャー)はビジネスとして成り立たせることが難しいということで悩んでいる、といったことがこの記事に書かれているシンポジウムでの発言の意図なんじゃないかと思います。それに対して、私はP2Pはまずは宣伝などの道具だと思っている。なので、技術者サイドと意見が対立しているわけではないんです。

―では、田中先生はもともとこのような研究結果が導き出されることを予想していたのですか。
していました。「Winny」を使って音楽をダウンロードする人が出てきたからといって、CDの売り上げ枚数が激減するのは少し変だと思っていたので。その根拠は前に述べたような別の要因がかなり考えられるからです。コピーをやっている人の意見を聞いてみると、コピーしてもあんまりその曲を聴いてはいない人が多いということがわかりました。何ギガも曲を貯めたのに、聴いたのは少しだけで、曲を集めているだけという人が多い。彼らは別な楽しみ方で楽しんでいる。つまり音楽コレクターかアングラ的な楽しみ方なのか、いざというときに聴きたいからなのか・・・。ちゃんと聴けないほどの曲のファイルを持っていても、その曲の使い方が違う(聴くわけではない)ので、CDの売り上げとはあまり関係ないだろと思っていたのです。CDを購入して聞く楽しみ方とは別の楽しみ方です。

―そういう勘があったからこの研究を?
そうです。

■研究・調査のツールとしての計量経済学について

―どのような特徴があるのでしょうか。
今回のような分析でいうと、みずかけ論をデータをもって分析するということがある。音楽業界では、ファイルの交換によりこんなに売り上げが下がったという意見があった。一方で、そんなことないだろという主張をする人もいる。本当にそうだという確信はどっちも持っていない。僕の研究が全てではないが、実証的な根拠があればそれをもとに議論できる。それが論争を大きく進展させる。すなわち社会貢献にもなると思っています。そのときにうまく活用できるのが計量経済学的な分析なんです。

―計量経済学に特徴的なデメリットはありますか。
まずは、理解されにくいということですね。まあ、それはどんな分野でもそうかもしれないが。凝った分析方法を使うと理解されにくいのでうまく説明するのが難しい。もう一つは、数字や数量を使ったからといって、結論が一つになるとは限らないこともあります。といってもこれは計量経済学だけの欠点ではなくて、学問全体にあてはまることですが。
計量経済学にしかない欠点といえば・・・・数量データがないと研究できないこと。データを集めて初めて調査・研究が可能となる。グラフや統計資料、そういうものを集めるか、自分で図書館に行ってもらうか、業界団体にいってもらうか。とにかくデータを集めるのが大変な作業です。

―今回の調査・研究での一番の困難は?
もちろんデータの収集、これに尽きる。メンバーに協力してがんばってもらって、非常に苦労しました。今回は毎週オリコンの上位曲を調べたりと、継続的に集めていかねばならない事が多かったので、データ収集には非常に苦労した・・・。メンバーというはゼミの学生です。彼らには非常に感謝しています。彼らの協力なくしてはこの研究はできませんでした。

―自分の足を使って調べるのですか?
計量経済学とはそういうものなんです。ファイル交換は自宅ですが、オリコンのデータはゼミの学生をかなり動因して足を使ってデータをあつめてもらいました。まさにゼミの総動員という感じです。学生たちの研究にも一部使われていることもあり、両者ともにメリットとなった。結果としてゼミの研究ともなったので、お互いのためになっていると思います。
三田祭ではレンタル(CD)についてやりました。
ファイル共有ソフトがCDのレンタルに影響があるのかどうかについてはこれから調べていきます。

―計量経済学という学問の認知度を上げるためにメッセージをお願いします。
昔は会社の会議などでも数量的なデータを示して議論することが少なかった。しかし、最近はパワーポイントやグラフなどを使ってデータを示す機会が急速に増えてきています。アメリカではデータ資料などが多用されており、その必要に答えて数量調査をする会社も多い。ファイル交換についても音楽データがどれぐらいダウンロードされているか調査する会社が成り立つほどです。なぜそういう会社ができるかというと、データを買う会社がいる、つまりデータに対する需要があるからです。そういったものは今後日本でも増えてくる。そのような時代が来たときに、計量経済学を身に着けているときっと役に立つと思います。




取材   真崎友海
酒井一樹
早川智彦



探偵!慶應スクープTOPへ | 慶應ジャーナルTOPへ