平成十七年一月十日、三田キャンパス西校舎ホールにて、福澤諭吉先生の生誕百七十回記念式典が開催された。
式は幼稚舎生の合唱に始まり、安西祐一郎塾長の念頭挨拶、経済学部小室正紀教授による記念講演、福沢範一郎氏による福澤家代表挨拶、小泉信三賞全国高校生小論文コンテスト表彰状授与、塾歌斉唱という流れで執り行われた。
閉会後は生協食堂において新年名刺交換会が引き続き催され、厳粛な式典から一転、和やかなムードでの交流会となった。出席者は塾の役員をはじめ、幅広い年齢層の塾員や体育会を中心とする現役塾生、小論文コンテスト受賞者の高校生など、塾関係者が一同に会し、西校舎ホールは立見が出るほどの盛況となった。
式典の挨拶において、安西塾長は今後の慶應義塾の更なる発展に向けた、意向を次のように示した。
現時点での慶應義塾大学に対する外部からの評価は年々向上しており、改革は半ばに差し掛かってきた。これも周囲の理解と支援のおかげである。教育への関心が高まる今日の日本において国民の関心の矛先は傾向的に国立大学へと向いているように思われる。その様な現状の中で慶應義塾大学が今後更なる飛躍を遂行するためには、あらゆる面で最高レベルの設備が必要不可欠となってくる。このことに関しては周囲の方々の理解と支援をいただければと願う次第である。そして、創立150年まであと3年、未来への先導者を担う人材を多く輩出していくことを目標に掲げたい。そのために、国際的な尺度でも最高の設備を完備していきたいと思っている。創立150年を目前に控えた今と、福澤先生が義塾を築いた時代は大きく異なっているが、知恵と実践を生み出すという意味において次の二点が類似している。
1. 生まれが一生を決めないこと
自分を磨くための学問への志と実行力があれば、誰もが他者への貢献を果たすことができる時代である。各自の将来への志を自ら決定することができる。
2. 国際関係に対する姿勢
江戸時代は大まかに言って鎖国の時代、つまり国際関係に対して受け身な姿勢をとっていた。そして国際化が飛躍的に進んだ現代もまた、国際情勢に対する能動的な姿勢が求められる。
今後の目標としては
1. 短期的な政治的動向に左右されない中立的な思考を育み、知的活動を十分に行っていく必要がある。
2. 国内においては地域に密着した活動、国外においては国際的な活動いずれの場面においても社会貢献を遂行するのに十分な場を提供し、活力を引き出していくことも肝要である。
経済学部教授であり、福澤研究センターにも在任する小室正紀教授は、記念講演を『江戸の思想と福澤諭吉』と題して近代文明の本質や明治維新期に生きた福澤諭吉の思想、その根幹をなす儒学の教えなどを数多くの儒学に関する文献や福翁自伝の引用によって講じた。
不平の捌け口が不透明な時代、つまり学問を志すものにとっては極めて困難な時代において福澤諭吉は学びを深めた。学者にとって先の見えない厳しい時代にありながら西洋文学を学び始めた福澤諭吉の模索の姿勢が功を奏し、日本における学問というものの輪郭が見え始めたといえる。そこから推測されることは、明治維新期において福澤諭吉のような人物が現れたことは不思議なことではないという事である。明治維新と福澤諭吉の大成した学問は互いに密接にかかわるものであり、文明は異端や妄説、他事総論から生まれるといっても過言ではない。他のアジア諸国において明治維新のような動きが見られなかったのは、多岐にわたる儒学が普及した日本とは異なり、学問が朱子学という一つの枠に囚われていたからだといえる。情報化社会とは、一歩間違えれば一辺倒な考え方がまかり通ってしまいかねない社会である。そのような社会の形成を阻止し、他事総論を守り続けていくことが慶應大学の役割なのではないだろうか。
午後開催された名刺交換では、安西塾長の前に長蛇の列が出来た。列は閉会を迎えるまで途切れることはなかった。そんな中でも列に並んだ全ての人に対し気さくに話しかけ、一緒に写真を撮りたいという私どもの無理な要望にも快く受け応えてくださった安西塾長の真摯な姿が印象深かった。