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塾員インタビュー #7
■ファイザー株式会社 副社長
  遠間淑訓さん

今、世界的市場で急進的な発展を遂げている医薬品業界。その先端を走る外資系企業の日本法人で、日本人としてトップの地位に立つ遠間副社長(経済学部卒)。慶應を卒業し台糖ファイザー社(当時)に就職後アメリカへのビジネススクールへ留学、さらに海外勤務と、まさに現代の「ビジネスパーソン」を先駆けてきた遠間氏に、その生き様と大学生活での素顔、そしてトップマネジメントとしてのビジョンをお聞きした。


ファイザー株式会社
 http://www.pfizer.co.jp/



■ファイザー株式会社

1953年、米国ファイザー社、田辺製薬株式会社と合弁でファイザー田辺株式会社設立。以後、台糖ファイザー、ファイザー製薬を経て2003年、ファルマシア株式会社と統合しファイザー株式会社となり現在に至る。医家(病院)向け、消費者向け医薬品の開発、販売のほか、農産、動物向け医薬品事業も行う。営業ベースでの売上高は医薬品業界で第1位。




■草創期のファイザー社に入社。その理由は?

――遠間さんがファイザー社に入社されたのはいつですか?

 1965年、昭和40年です。その頃は「台糖ファイザー」という会社でしたが、設立してまだ12年目ということで、まだまだ「ファイザー」という言葉自体が日本人になじんでいませんでしたね。カミソリの「フェザー」と間違えられるようなことが多かったくらいです(笑)

――そんな、当時はまだまだ日本ではなじみのなかったファイザー社に入社されたきっかけは何でしょう?

 大学のときから、「社会人になっても海外で勉強したい、働きたい」という気があったんですね。そのときにファイザーの採用広告で惹かれたのが、「勤務地は国内外問わない」というもの。今になって考えてみれば、必ずしも外国で働けるというわけではないんですけど(笑)。逆に、銀行とか商社とかいった、当時の超一流企業というものには興味はなかった。というのも、先輩の話を聞くと、「会社の歯車の一員になる」といった、自分の個性が発揮できないというイメージがあったんですね。それよりは、まだ無名ながらもグローバルに事業を展開している企業の方が、世界に羽ばたけるのではないかと。あと、業界内で初任給が一番高かったので、これは働けばきちんと報いてくれるのではないかと、そう考えましたね。

■海外留学で培った”Creative”な発想力

――では、実際に入社後海外で働かれたのでしょうか?
 はい、何度か。その頃の会社のトップの人たちの考えが、「ファイザーはこれからは人材を育成しなければならない。その育成とは、日本から外国に出て勉強したことを社内で活用できるようにすることだ。」というものだったのですね。外部から留学経験のある人を採用してもいいんだけど、社内の将来性のある人たちにも機会を与えるべきだと、そう考えていたんです。それで1971年に、その社内留学制度に応募し選ばれて、MIT(マサチューセッツ工科大学)のビジネススクールに2年間通ってMSM(Master of Science in Management、MITでのMBA)を取得し、そのあと2ヶ月ほどニューヨークのファイザー本社で研修を受けて帰国しました。

――実際に海外に行かれて苦労された点はありましたか?

  それはもう苦労しましたよ(笑)。留学制度なんてカッコイイと思うでしょ? そんなことはない。最初の半年間に至っては、起きている時間で食べているとき以外はずっと机に向かってましたよ。

――それは英語の勉強で?

 そうです。私は慶應での英語の成績は良かったけれども、その程度の成績の良さではなかなか太刀打ちできない。今の人たちは違うのかもしれないけれどもね。だから、もう最初の半年くらいは死に物狂いで勉強して、そうしているうちに1年ほど経ち2年目くらいになると人間おもしろいもので要領よくなってきて、どうにかなるようになりましたね。あと英語に加えて、特にMITの場合だと、全世界の「頭脳」が来るわけですね。だから、それまでは私自身あまり落ちこぼれを経験したことが無かったけど、そのときは自分が一番下かと思ったくらいです。

――そういった海外、ビジネススクールでの経験が役に立った点はありますか?

 今は変わったんだろうけど、当時日本の大学はどうしても、先生から教わる、学ぶ、そして受け入れるという構図が強かったんです。一方向的で自分の自主性、CreativityやInnovativeな考え方とかを出す機会がなかったように思っています。これは学生の数が多いから仕方が無いかもしれませんけどね。ところがビジネススクールでは、学生の数は極めて少ない。そして、ケーススタディと言った形で、経営の問題点にどのようにアプローチするかを考える。与えられた課題に対しどのように取り組んで、分析して、プラスマイナス面を考え、そして最終的にあなたはどのようなプロセスでこの考え方にたどりつきましたか、と。そういった「解答ありき」ではない勉強が多いですね。これは会社で、きわめてオープンな環境下においていろいろと意見を戦わせ、最良の策を導き出すといった際に、大いにこのビジネススクールでの力が発揮できると感じましたね。



■標高差1,900mの一日大移動? 思い出に残る大学時代の貧乏旅行

――それでは大学時代、慶應大学に入って感じたことはありましたか?
 やはり「自由さ」はとても感じましたね。あまりにも自由すぎるから、大学は勉強しなくてもよいところなのか、と(笑)。

――では、その自由な時間には何をされていましたか?
 私の大学時代は、まだニクソンショックの前、1ドルが360円の時代で、外国へいくということがなかなか手の届きにくいことだったんですね。それなので、日本をよく見ようということで北海道から九州まで、ほぼ全国を貧乏旅行してみたことが今でも印象に残っていますね。狭い日本だけど、これだけのところに様々な風俗、習慣、歴史があるのだと深く感じた覚えがあります。

――印象に残っているエピソードなどは?
 四国に行って、貧乏旅行だから宿代をできるだけ安くするために海の家に泊まったんだけど、やっぱり海の家だから暑いわ、虫は多いわで眠れなくてね。それで次の日に石鎚山(いしづちやま−愛媛県にある西日本一の高峰。標高1,982m)に登るということで、標高0mから一気に1900mものところまで登るという大変なことをしました。途中からバテちゃった友達の荷物も持ってあげるほど、最初の方は元気よく行ったんだけど、最後のあたりの確か鎖をつかんで登るようなところでは、もう夢遊病者の如き形相だった(笑)。あとは、桂浜(高知県にある名勝の浜辺)で泳いでいて、波に飲まれて溺れた思い出とか(笑)。今からしてみれば、若いだけに面白い経験をしたなぁと思っています。



■企業の成長は、一緒に働く仲間に「活躍の機会」が提供できるということ

大志を抱きつつも有意義な体験をした学生時代、海外留学を通じながら自らの内なる能力を高めた社会人時代、これらを経て、今副社長としてトップに立つ人間となっている遠間氏。そのトップとしての展望を語っていただいた。

――今世界でもトップクラスの業績を誇るファイザーの日本法人のトップに立って、一番充実している、もしくは一番嬉しいと感じていることはなんでしょうか?

 そうですね、まぁ自分たちが頑張って、会社のランキング、格付けが上がってくるということは、企業の売上規模が拡大してくるということだけではなくて、裏を返してみると医薬品で人類の幸福、健康、QOL(Quality of Life.人々の生活の質の向上)に奉仕できるような存在になってきている、貢献の度合いが大きくなっているということですから、そう考えると嬉しいことではありますね。また、会社の中という側面から見て、この会社で働く我々の仲間に対しては、自分の能力を最大限に発揮して貰いたいという願望は、私のみならず誰しもが持っていると思いますよね。それが、もし会社の成績があまり芳しくなくて、会社の縮小やリストラなどがあると、結果として従業員、働く人一人一人に対して十分な機会が提供できない。だから今、こうして業界でもよい成果を上げられていることで、一緒に仕事している人たちに対して十分な、自分自身を磨き、大きくなり、成長できる機会を与えることが出来ている。それに加えて、人間は生活するのに必要な糧が要るわけで、その仕事の対価としての報酬も業界の中ではトップクラスに提供できていると思います。このことは、企業のトップに立つものとしては、喜ばしいことだと思いますね。

――では、遠間さんはトップに立ちマネジメントに携わっている上で、最近ことに強く感じていることなどはありますでしょうか?

 私が入社した当初は、ファイザーは外資系の会社だとはいえ、日本の会社と同じような感じでした。ところが、医薬品業界は大きく流れが変わってきている。従来の医薬品業界では、単に日本人の疾病、疾患に合った薬剤を日本で開発して日本で販売する、それでひとつの収拾がついていたんだけど、今では薬剤の開発には800億というお金がかかるわけで、当然日本の市場だけで開発して日本の患者さんに提供するだけではビジネスが成り立たない。それを踏まえて、グローバル化した事業の展開というものが業界全体、いや、自動車業界とかもそうであるように、どこでも起こってきていると思います。そこで、マネジメントとしてはどうするかというと、今まではThink & Act LocallyであったものをThink Globallyとしなければならない。そして、ActはLocally。グローバルなスタンダードに乗った上で、それぞれの地区の事情にあわせて行動しなければならない。日本の国内で世界の常識が通用するのかというと、必ずしもそうとは限らない。この考え方と実践様式のバランスをうまくとらえることの重要性が、マネジメントをする上で最近強く感じることですね。



■慶應の中で受け継がれている「こころの包容力」

人事の分野でも活躍されてきたという遠間氏。それでは、企業のトップの視点から見て、最近の学生、慶應の学生はどう映るのか。

――最近の学生と昔の学生の違いについて、違いのようなものはありますでしょうか?

 いわゆるマニュアル的、個性が無い、自主性が無く指示を待って行動をする、などという評判を社員の上司世代から聞くけれども、個々の人々と向き合ってみると決してそんなことはありません。逆もまた然りで、「今の学生は」「昔の学生は」ということでひとくくりにすることはできないかな、とは感じています。ただ、敢えて比べるならば、昔は資源、情報ともに豊かではなく、それゆえに自分の志すものに対して執拗なまでに執着した、という傾向はあるかもしれませんね。今の学生はというと、時代が贅沢になっているせいか、興味の対象が沢山ありすぎて何からやればよいのかを見失っている気がする。自分の中のエンジンというかな、内から起こるものに対する取っ掛かりがなんとなく昔に比べると遅くなっているのかもしれないですね。

――それでは、慶應の学生に対してメッセージ、アドバイスなどありましたら頂けますでしょうか?

 一般的に慶應の学生は包容力、包括力が高い、余裕の幅が広いという印象が昔からありますね。オープンマインドというのかな、ものの考え方において自分を閉じ込めて考え方を偏らせてしまう、そういったことが割合ない風潮のように感じますね。今の経済が示すように、「これがすべて正解だ」「これをやっていれば必ず成功する」といったことは、ますます不明確になってきています。だからこそ、まるっきり芯の無い、フラフラしているのもいけないけれども、芯を一つ持って、それでいてアンテナを広く拡げ、相手の意見をある程度受容し、そして自分の意見を言うといった「こころの包容力の広さ」、これは慶應の人が昔から持っていたものだと思いますから、今の人たちにも大事にしていただきたい。今のような不確定な時代であるほど、皆さん方にとっての大きな後ろ盾になるものだと思いますよ。


■ファイザー製薬
  http://www.pfizer.co.jp



取材   柄澤直己
坪井直紀
吉川英徳



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