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塾員インタビュー #5
■横浜ベイスターズ
 山下大輔監督

清水東高−慶應義塾大学−大洋(現横浜)

 1970年に本塾に入学し、1年次からレギュラー。大洋のドラフト1位指名を受け入団。73年春のシーズンで首位打者を獲得。
 プロ入り後は堅守のショートとして活躍しゴールデングラブ8回はショートの最多受賞記録。77年から78年にかけては322守備機会連続無失策の日本記録を樹立。87年に引退。

2003年のシーズンより横浜ベイスターズの監督として指揮を執る。



■飛躍して欲しい選手が力をつけている手ごたえは感じている

―チームのことからお伺いします。昨年と今年で大きく変わった点はどこでしょうか?

まぁ、そうだねぇ。一年で大きく変わるということは無いんだけど、佐々木が戻ってきたことは外から見たら一番大きいニュースじゃないの。まぁ、それを含めて、去年途中からギャラードという投手がチームに入ってきてね。今年は外国人のピッチャーが皆新戦力のピッチャーなんで、その比重もチームにとっては大きいんだけど、そのへんは未知数でね。でも投手力の抑えの部分が少し厚くなったということで言えば、投手力全体がレベルアップできるということは、一番の去年と今年の違いになると思っているけどね。


―これまでのオープン戦、河野選手、古木選手など若手選手が活躍されています

よく打っているよね。よく打っているし内容がよくなってきていて。昨年村田、古木という二人の選手がかなりの試合数を出たんだけど。やっぱり、アベレージ(打率)はね、それほど残せなかった。けど、打率が上がってくれば、十分に破壊力がでる。去年、成績としては最下位になったけれども、その原因であり、今年の飛躍のための経験になったかもしれないな、今年飛躍してほしい選手たちであるし。


―選手が飛躍するにあたって、監督としてはどのような指導をされていますか?

いや、もうそれは、あそこの打席に立って打つのは選手たちだし、ピッチャーにしたって投げるのは本人なんだから、そういう意味ではこっちがどうこうしたから飛躍する、という問題ではないと思う。「去年は目をつぶった。」っていうわけでは無いし、それだけの戦力しかなかったってのもあるんだけど、やっぱり大きく飛躍できるだけの素材であるから、去年の経験をぜひ今年には活かしてほしい。活かして飛躍しなければいけないわけなんだけどね(笑)。


―監督ご自身が、去年と今年で指導法を変えたり、ということはありますか?

いや、まったく変わってないと思うけどね。性格は変わるわけではないけれども。自分の考えとしては、最初に(監督に)なったときから言ってきたことだけど、自分のチームの選手を見て、力とか性格とかいろんなものを把握して、そのベストという部分を一番力が発揮できるように使っていく、そういう方法、そういう野球をやっぱり監督は見つけるべきではないか、と思っているけれどね。まぁそう(選手を)使っていって、ウチのチームの選手が力をつけて、そしてさっきの村田とか古木とかが飛躍の年になった時には、当然チーム力が上がってくる。あとやることといったら、チームの和というか、チームがチームとして勝つことに向かって気持ちをひとつにまとめること、それが監督の仕事ではないかと思っているね。ま、その方向に今年行ければね。既にそういうつもりではやっているけれども、ということは、上に行けるぞ、ということになるかもしれないね。


―その手ごたえは?

まぁオープン戦だからね。まだわからないけど、まぁ個々の選手を見ていても、選手が力をつけている手ごたえは感じている。個々の選手が力をつけるということは、チームにつながりができることにも通じると思っている。自分の力をつければ、ここでは何をすべきかだとかいうことも、状況に応じて出来るような力をつけているわけで、それが狙いでもあり、そうなってくることが、必ずチーム全体のチーム力を上げることになる、という風に考えている。


■人生、なんでもそうだけど、楽天家であったほうがいい

―続いて、監督の学生時代についてお伺いします。
学生時代、最も印象に残っている試合とか出来事はありますか?

やはり、結構いいことは、優勝した瞬間だとかそういったことはあまり覚えていない(笑)。1年の春の早慶戦でサヨナラヒット打って、当時スポーツ誌の1面に載って、大きく出てね。今では考えられないことだけれども。そういうものは意外と覚えていない。それよりも夏の練習中に「水が飲みたいな」と思ったこと、まぁ慶應ってのは水は飲ませてくれたのだけれども。1年生が氷を買いに行くんだよね、大きい氷。その大きい氷をポリバケツにドーンと入れて、水をジャーッと入れて、そのそばに塩があってね、で、皆飲む。1年生も飲んでもいいんだけど、でも氷買いに行く役になると、その間リヤカー引いて休む(笑)、そういうのをやってみたいなと思ったこととかね。そういったことは意外と覚えているし。


―印象に残っている食べ物屋さんとかはありますか

英枝(えいし)というラーメン屋さんがあったんだけど。合宿の下にね。英語の英に枝と書くんだけど。旦那さんと奥さんの名前をとって英枝って。で、その小高い丘の上にラグビーと野球部の合宿所があって。下田町になるのかな。いや、日吉本町だ。今は理工か何かの寮になっているかもしれない。とにかくまぁ兵舎みたいなとこでね(笑)。で、ラグビー部と一緒だったから雨の日なんかは練習終わって帰ってくると、ラグビー部が最初に入っていると、湯船の半分くらい砂がたまっているわけ(笑)。そんな思い出とかね。あるいは、練習終わって、なんか水まいてるときに見つかったりね。次の日の雨予想で水撒いてて(笑)。小高い丘の上に合宿があるもんだから、日吉のグランドで水がビューって飛んでるのを、校舎のほうから見えるらしいのね(笑)。首謀者は俺じゃなかったんだけど(笑)。俺が一年のときだから。なんか二年生が水撒けって、明日グランドで練習ができなくなるようにやったらしいんだけど。まぁそういう思い出の方が結構残っているね。
 まぁ学生時代ってものはそんな感じだね。ま、プロに入ってもそうだね、割とよかったこととか、意外と残ってなくてね。忘れちゃっているわけではないんだけど、やっぱり苦しいときの方が記憶しているよね。


―プロで一番苦しかった時とはどんな時だったんですか?

いや、それはしょっちゅうあるよ(爆笑)。毎日試合だからね。いい時もあれば悪い時もあるし。


―苦しいときから、監督なりの前向きになる方法、乗り越え方というのはありますか?

選手時代のほうがやっぱり… 自分だからね。自分でできるかできないかだから。これは自分に帰ってくることなんで、やっぱり努力もしただろうし、諦めや切り替えもつきやすいけれども、監督とかコーチっていうのはねぇ、人がやってるのを見て、「なんかウマくいかんなぁ」と思うことがあるんで、そういう意味ではやっぱり、「切り替える」ってことは凄く大事だよね。(自分で)やってない、コーチ、監督になったときの方が。たださっきも言ったけれども、監督になっても、自分が野球をやって勝った負けたになるわけじゃなくて。もちろん投手の交代だとか、作戦面においての失敗も成功もあるけれども、やっぱり最終的に選手に全部委ねるというか、「おい、頼むぞ」という気持ちで見ている部分ってのはあるんでね。まぁ、そういう風に悪いときは自分で考えるしかないんじゃないかな。人に愚痴を言っても始まらないし。


―自分でコントロールできるところでは無いということですか?

まぁそういう気持ちの持ち方は… 悪いときは悪いで。選手は一生懸命やってるけど、まだここまでしか力が無いと。じゃあなんとかそのできる部分で、サポートしていくというかね。そういう風な考えで去年一年はやっていた気がするけどね。人生、なんでもそうだけど、楽天家であったほうがいい、楽だ、と思うよ。


―常にプラス思考に?

うん。でも、去年くらい負けるとなかなかプラス思考には…(笑)。難しい問題だけど、そういう中でも、そう考えられる部分を作っていくしかないしね。


―去年であれば、「古木選手や村田選手に対する期待を込めて…」というのがそれにあたるのでしょうか?

うん、そうだね。最初に言ったようなことね。やっぱり去年の経験が今年に活かせるような、そういう素材ではあると思うよ。今年に、というか、彼らにとっての未来にね。活かせる素材の選手だと思っているから、必ずやってくれると思ってるけどね。まぁその進歩の度合い、成長の度合いっていうのは人によって個人差あるし。大ブレイクする年も、地道に一歩一歩行くタイプの選手もいるし。


■充実した生活を過ごして欲しいと。そういう気持ちは強いよね

―これで4月、(プロ野球も)開幕になって、学校の方も新年度となるわけですので、それぞれの生活の新しいスタートを始める塾生にメッセージ、アドバイスを、締めの言葉として頂けますか。

うん、社会人入るとまた、さらに感じると思うけど、大学の4年間というのは、4年間じゃない人もいるけど(笑)、人生で一番友達ができたりね、いろんな大人の世界を覗いて見たりだとか、一番こう、「イイ時期」でもあるしね。そこで辛い思いをすることもあるかもしれないけど、「人生に活かせる時間」とでもいうかな。非常に有益な時間になるわけでね。入ってきたときにはわからないかもしれないけど、この4年間、学生時代を無駄に使って欲しくないというかね。プロ野球でも何でもそうだけど、引退のときに初めて、「あぁ、こうやっておけばよかった」というのは結構あるわけでね。それになるべく早く気付くように、いろんなことにチャレンジするのも必要だし、自分の世界を見るということも必要だし、そしてやっぱいい友達を作って… 学生の本分を忘れずにというのも大事だと思うけど、たまには忘れてもいいと思う。日本の大学の制度というのは、そこに入るまでに皆苦労してると思うんで、1年生で入ってきた時には非常にフワッとした気分になってしまう。

ただ遊ぶのではなくて、なんか残る遊びをして欲しいと思う気がするんだけどね。遊び心があってもいいけれども、4年間終わって「あぁ無駄に過ごしちゃったな」と、「もっといろんなことができたな」と、そういうことが必ずあるんでね。そのへんを、老婆心ながら、一応先輩としてね、言わせていただこうかと。
僕は野球をやってて、野球以外の世界はあまり見てないかもしれない。けれども、いくつになっても大学の4年間、特に慶應の4年間というのはいろんな友達と出会ったり、神宮での同じ仲間、塾生にね、熱い声援を受けながら、「母校の為に」とかそんな気持ちでやった思い出が、4年間だけではなくずっと続いて、非常にいいものになっているんで。上手く言えないけど、素晴らしい学生時代を送って欲しいなと。まぁ「素晴らしい」って言うとちょっとニュアンスが違うかもしれないけど。大事に、というか…

―充実した…?

うーん、そうだね。「充実した」っていうのは終わってみてわかることなんでね。でも前もってそう言っておいてあげれば…。まあ、無駄な時間は必要だと思う。無駄な時間ってのは、無駄な時間が無駄で終わるか、後になって役立つか、というような感覚はあるよね。特に大学生の4年間というのは。
高校、あるいは中学から就職しなければならない人もいるわけで、そういう中で、世間的に認められている大学生になれたということを誇りに思うことも大事だけれど、だからこそ、充実した生活を過ごして欲しいと。そういう気持ちは強いよね。


横浜ベイスターズオフィシャルサイト
http://www.baystars.co.jp



取材   村井裕一郎
 南郷史朗
 柄澤直己



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